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『ユリイカ 総特集・小津安二郎』を読む(中)――長谷正人の秀逸な論考など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 前回に引き続き、今回も『ユリイカ』特集号の論考中、私がとくに興味深く読んだものを紹介し、それらについてコメントしてみたい。

 映画研究者・長谷正人の「反=接吻映画としての『晩春』――占領政策と小津安二郎」は、視点がすこぶるユニークで面白く、文章も研究者のそれとは思えないほど柔軟で、とても読みやすい。

 長谷氏の論考の主旨はこうだ――小津はこれまで、蓮實重彦などによって、その美学的=形式的な面ばかりが分析されてきたが(この点については前回述べたように異論があるが)、作品の「内容」もまた小津の魅力の不可欠な要素なのではないか。そう述べて長谷氏は、小津がなぜ戦後になって作風を変化させ、日本風の意匠を過剰に取り込むようになり、とりわけ見合い結婚という保守的なテーマを反復的に描いたのかと問う。

 そして、それはつまり、小津の見合い結婚映画群の原型ともなった『晩春』(1949)が端的に示しているように、占領下の連合軍総司令部(GHQ)の「映画民主化政策」への小津の抵抗だったのだ、と述べる。いや、もう少し丁寧に長谷氏の論考を跡づけてみよう。

 「自由恋愛」を映画で描くよう奨励したGHQの「映画民主化政策」の中心人物、デヴィッド・コンデ民間情報教育局(CIE)演劇課映画班班長が、それまでの日本映画に性的な描写がなかったのは、日本人が軍国主義や封建主義によって個人の感情を表すことを抑圧されていたからだと考え、ゆえに今後は日本映画の作り手らを恋愛・性愛を自由に描くよう方向づけ、日本人を啓蒙しようとした。長谷氏はそうした点をふまえ、『はたちの青春』(佐々木康、1946)などの「接吻映画」という奇妙なジャンルが生まれたことを、クリアに述べてゆく。

 そして、父親とは離れたくないと思っている娘(原節子)が、父親(笠智衆)の弟子に好意を抱いているのに、親の勧める見合い相手と素直に結婚する、というプロットの『晩春』こそは、反=「民主主義」的な反=「自由恋愛」的な映画、すなわち反=接吻映画であると結論づける。

 長谷氏はまた、作中で原節子が性愛/セックスを「汚らしいわ」と言う点に着目し、こう書く――「(……)この台詞には、小津の占領政策(あるいはその政策に同調する人々による恋愛至上主義の風潮)への批判が込められていたと思う。GHQによる自由恋愛や接吻映画の奨励は、男女の性欲やセックスが人間の素直な感情の発露であるかのような性善説めいた単純な価値観に拠っているからだ。それに対して小津は、人間にとって性愛は不潔と感じる側面もあること(だから性愛表現はエロチックなものとして喜ばれる)を描くことを通して、GHQの人間観の底の浅さに怒り、反論しているように思える」

 じつは私自身は、この長谷氏の結論には同意できない。私は映画ないしは映画作家のメッセージ/言わんとすることより、映画の演出や描写や構成――撮影、演出、編集、主題と物語の動的な関係など――こそが、映画の生命線であると考えるからだ。さらに映画の物語内容に生命を吹き込み説得力を持たせるのは、何よりもまず、優れた演出や表現だと考えるからだ。

 したがって大まかに言えば、優れた映画にあっては、演出と物語(長谷氏の言う「形式と内容」)は、不可分のものだと思うからである。

 そして極端にいえば、戦後の小津は、見合い結婚という題材こそが、家族ないしは血縁のあり方を最も大衆受けするかたちで、しかも自分独自の画風で描くのに最もふさわしいと考えるようになり、それを反復しつつ変奏したのではないか、とさえ思われるのだ(後述する『早春』<1956>や『東京暮色』<1957>はその題材の暗さゆえ、評判はかんばしくなかった)。

 もっといえば、後期の小津は、見合い結婚を自分の映画のモチーフとして活用したにすぎない、とさえ考えている(小津独特の画面構成で描かれなければ、あの結婚話を中心にした物語の魅力は半減してしまっただろう)。

 だが、それはそれとして、私が長谷氏の論考を面白いと感じるのは、彼の論の運び方が周到であり、傍証の固め方がうまいからであり、また前述のように文章がフレキシブルだからだ。そして彼の論には、緻密さだけではなく、“芸”もあり、ゆえに、つい説得されそうになるのだ(論文とて、小説のようなフィクション――ポジティブな意味での――として読んで悪い理由など、どこにあろう。まあ、これは分野によるが)。

 たとえば長谷氏は、小津が戦争直後に撮った『長屋紳士録』(1947)と『風の中の牝鷄』(1948)の2本が、彼のフィルモグラィ中、テーマ的には異色であるのも、「占領軍の影響があったと思われる」と述べ、こう続ける。

――「前者の「戦争孤児の解決」、後者の「復員兵の市民生活への復帰」という作品テーマは、新生日本の建設を描くというGHQの指示だったからだ。/しかし、このようなタテマエ的なテーマを持った映画作りを強いられる不自由な状況を、小津が良いと思っていたはずがない。傍証にしかならないが、のちに佐田啓二夫人となった杉戸益子は、47年ごろ手伝っていた大船撮影所前のレストランで、『アメリカの検閲官と言い合いをなさったとかで』(中略)『凄い』顔をしていたと証言している。/何をめぐって米軍と言い争いになったか、私の想像の域を越えるものではないが、恐らく『長屋紳士録』は、九段から連(ママ)いて来てしまった浮浪児を長屋のみんなが嘘をついてまで互いに押し付けあったり、仕方なく預かった飯田蝶子が浮浪児を突き放そうとすればするほどなついてしまったりという逆説的な描き方が何とも可笑しい喜劇に仕上がっているから[筆者注:こうした本作の面白さは、まったくその通りだと思う]、確かにそこには封建主義を批判して新しい民主社会を作ろうとするような前向きな人間が一人も出てこない、後ろ向きの映画と言えないことはない。だから、[『長屋紳士録』の戦争孤児をどうするかという点についての]逆説的な作劇方法を反民主的だと検閲官に批判されたとき、小津があきれ返り激昂したりするという姿が容易に目に浮かぶだろう。小津にとってGHQのタテマエ的な検閲政策は、民主的な社会建設や人助けなどは面倒くさいと感じるような、ふつうの人間たちの暮しのなかのホンネを描いたヒューマニズム的作品を作ることを困難にしてしまうと感じさせたはずだ」

 このように長谷氏は、みずからの作品解読と傍証をつき合せ、さらに想像力をしなやかに働かせて論を展開してゆくのである――。

 ところで、長谷氏があえて例外としてカッコにくくった『早春』は、前回も触れたが、夫(池部良)の同僚(岸恵子)の不倫/自由恋愛をまがまがしく、かつ生き生きと描いた傑作であり、スマートにではあれ二人の接吻も描かれる。二人の性交は

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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