2013年12月16日
高畑勲監督の14年ぶりの新作『かぐや姫の物語』を映画館で見終わった時、驚いたのは長いクレジットの間、誰も席を立つ者がいなかったことだ。私が見た回は拍手さえ起きた。ふーっとため息をついて、とんでもないものを見たような、そんな雰囲気が広がっていた。
何がそんなに観客を圧倒したのか。ここではその魅力を映画のスタイルとテーマから分析してみたい。
まず特徴的なのは、その力強い筆のタッチだ。特にかぐや姫が踊ったり、走ったりするシーンは、荒々しいまでの手描きの太い線で描かれる。画面全体が躍動しているようだ。
そうして時おり、蛙や鳥や花の巨大なアップが固定ショットで入る。まさに日本画をじっと見ている感じ。そうかと思うと人物が走りだし、空を飛ぶ。画面全体が揺れに揺れる。
日本の絵巻物が漫画やアニメの元祖とする考え方は、戦前から今村太平らが唱えていたが、この映画は絵巻物や日本画の手法を意識的に全体に導入した最初のアニメではないだろうか。
絵巻物では、言葉が重要だ。絵と同時に添えられた文字を読みながら、物語が進む。この映画にはもちろん書き文字はないが、「今は昔、竹取の翁という者ありけり」とナレーションで始まる。その後は現代語になるが、ナレーションで語ってゆく構造は変わらない。
ナレーションの後に、登場人物たちの声が出てくる。特にかぐや姫の声を担当した朝倉あきの素朴ながら力強い声が印象に残る。そして彼女が歌う「わらべ唄」や「天女の歌」の声の天上的な響きは忘れがたい。
ここからは、そのようなスタイルの奥にある発想や手法を解き明かしてゆきたい。
まず絵巻物との関係だが、高畑監督は自ら『十二世紀のアニメーション――国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(徳間書店)という本を書いたくらい、絵巻物にくわしい。その本では『信貴山縁起絵巻』、『伴大納言絵詞』、『鳥獣人物戯画』を使って、それらの中にある映画的要素やアニメ的手法を解読している。
一度高畑の講演会を聞いたことがあるが、彼は
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