2013年12月27日
「ああ、もうこんなところまでやってきているのか!」
IT関係の本を繙くと、ITがこんなにも根深く、今の世界に着床しているのかという驚嘆(驚愕と嘆息)の思いに包まれることが多い。『アルゴリズムが世界を支配する』(クリストファー・スタイナー著、角川書店)は、タイトルそのものが、そんな思いを増幅する。
1969年、ウォールストリートに最初に持ち込まれたアルゴリズムは、そのずば抜けた計算能力によって着実に旧来の相場師たちを淘汰し、やがてハードウェアの進歩により膨大なデータをすばやく渉猟する能力を手にして証券取引所の壁を乗り越え、活躍の場を拡大し続けた。
ヒット曲の発見と解析、テロとの戦い、スポーツ選手のスカウト、接客効率の向上、遂には恋人選びをも代行……。医師や弁護士の仕事も楽々こなし、処理速度、コスト、正確さで人間を足元にも寄せ付けないアルゴリズムは、多くの仕事の現場で、人間にとって代わっていった(WEBRONZA「『機械との競争』を読んで考えた消費税増税と安倍首相の空疎な予言」)。
今やアルゴリズムは、注文に応じて、そのスタイルもバッハ風からビートルズ風まで、自由に作曲を手掛けることが出来るという。
だが、ぼくは思う。アルゴリズムにはバッハの後にバッハ風の音楽を作ることが出来ても、バッハの前にそれを創り出すことは不可能だろう。「アルゴリズムの支配」は、人間の創造的営為と創造的進化の停止の別名ではないか?
アルゴリズムは、数学の重要で有効な技術だが、コンピュータ世界の二値論理だけが数学ではない。それを教えてくれるのが、『数学的経験の哲学――エピステモロジーの冒険』(近藤和敬著、青土社)だ。
「真理の歴史」「真理の生成」という主題は、一見形容矛盾だが、もっとも「歴史」や「生成」から遠いと思われる数学的経験について考えるときに、俄然リアリティを帯びるのだ。「集合」「無限」など今日普遍的に思える概念も実は最近の所産であり、数学的経験の過程は、数学の歴史そのものと重なるのである。そして、徹頭徹尾「非現実的」と思われる数学的構造は、物理学などを通して「現実的な実在」と相関する。
「わたしが知りたいのは、私たちはここに生きていったい何をやっているのか、ということだ」という素朴にして究極の問いによって書き起こされる本書は、概念→主体→自然と世界の全領域を遍歴・渉猟していく、若々しくも勇壮な、冒険の書である。
デジタル=二値論理で世界や人間が分かり、なすべきことも一意に決定づけられる。そんな狭量な精神が、いい子と悪い子、勝ちと負けという風に、何でもかでも○と×に分けたがる。そんな風潮に、“○と×の発想法は堅苦しくて不自由でおもしろみがない。○と×の間にある無数の△=「別解」に限りない自由や魅力を感じる”と真っ向から反対する
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