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[17]第2章 演劇篇(9)

バラエティの元祖

香取俊介 脚本家、ノンフィクション作家

「レビュー」の基盤は「ナヤマシ会」

 無声映画の時代、映画は「活動」とよばれ、活動弁士、略して「活弁」が台詞入りで独特の名調子の語りをいれて盛り上げた。人気活弁になると映画の入りを大きく左右するほどの大きな存在で、観客はモノクロ画像以上に活弁の名調子を聞くのを楽しみに映画館に通ったりした。

 彼ら人気者の活弁が中心になって半ば「遊び心」ではじめた「隠し芸大会」といったものが、ナヤマシ会である。このナヤマシ会こそ、浅草を中心に起こった「レビュー」や「バラエティ」の「さきがけ」であると、山地幸雄は1942(昭和17)年に出した『国民娯楽演芸読本』で強調する。

 「ナヤマシ会に就いて、たまに書いたり、口にしたりするものはあっても、それをナヤマシ会的とか、ナヤマ会的とかいって、軽く一蹴して涼しい顔をしています。三尺さって師の影を踏まず、彼らの健忘症には、呆れるほかはありません。われわれが、現在、見たり聞いたりしている、レビューにしろ、アトラクションにしろ、ヴォードビルにしろ、ヴァリエティにしろ、その種類と形式の大半は、ナヤマシ会に負うている、と言っても過言ではありません」

 ナヤマシ会なる集まりは1927(昭和2)年、活弁らが主導して催した。発起人は人気活弁の山野一郎で、ナヤマシ会をはじめる動機についてこう語る。

 「前説がなくなりましてから、説明者は一年中、暗い舞台で喋っています。お客はわれわれの顔を知りません。別に知らなくとも差支はないが、気分的には、なんとなく顔を知っている方がお互いに親密だ。と、そう感じたのが計画の第一の理由でした。次に、われわれの仕事が、一見、変化に富んでいるようで、平板単調、一週間同じ映画の説明ではたまらなく退屈だ。で、なんとかこれを紛らわしたいものと思ったのが、理由の第二、もう一つは、われわれにも説明一本槍ではなく、唄もうたえれば、踊りも心得る芸人はドッサリいる、その隠し芸でも公開したら存外、お客は喜んで、より親しくなりはしないか、というのが、第三の理由でした」(『国民娯楽演芸読本』)

 前説とは映画がはじまる前、活弁がお客に向かって気分をほぐすため世間話をまじえ作品の見どころなどを語ることで、今でも観客をいれたテレビの収録などで、ADがお客の気分をほぐすため前説を行っている。

名づけ親は徳川夢声

 山野一郎によると、ナヤマシ会は当時山の手随一の洋画封切館であった新宿武蔵野館の弁士室で出た話だという。発起人は山野一郎、名づけ親は同じ人気活弁としてならした徳川夢声で、「どうせ、お客はナヤまされるにきまっている。そこで名前はナヤマシ会とつけますかな」といったことで決まった。

 当初は「ビジネス」という観点はなく、あくまで隠し芸の披露という意味づけであった。第1回は1926(大正15)年、芝の協調会館で行われた。ここは演芸ホールではなく「演説会場」として使われていた。

 『喜劇人廻り舞台』によると、洋服落語の「漫談」に楽士(前田環)のバイオリン・ソロ、映画狂の学生、古川ロッパの声帯模写、正岡容の自作落語など多彩な内容だった。

大辻司郎拡大大辻司郎
 漫談を演じた大辻司郎は兜町の株屋から活弁に転向した人で、頭のてっぺんから出る奇声で「胸に一物、手に荷物」とか「海に近い海岸を」とか「勝手知ったる他人の家へ」「落つる涙をコワキにかかえ」などという「迷説明」で売り出した。

 自己PRにもたけていて、ある時期から画家の藤田嗣治や流行作家の吉屋信子をまねてオカッパ頭になった。

 大辻は吉屋信子と一緒に写真を撮りたがり、それを宣伝の手に使ったので吉屋信子に迷惑がられたという。さらに銀座をはじめ市内の各浴場に自分の名前入りの脱衣カゴを預けたり、変わった服装で銀座をぶらついたりした。大辻の名調子の一例をあげると、

 「漫談はゼイタク品じゃないデス。座談の延長であるデス。漫談の家元をとっておけっていってくれる人があるデスが、ゼイタク品じゃないであるデスから、そういう必要はないと思っとるデス」

 こんな調子であった。ところで、フランスには「慈善興行シルク(曲芸団)」なるものがあった。パリの一流の芸人が、その領分以外の隠し芸を披露して高い入場料で見せるもので、俳優が歌ったり、歌手が軽業をやったりする。劇場がハネたあと行われ通常夜の12時ごろにはじまり、午前3時ごろに終わる。帰りは車で帰る客も多く、貧乏人には無縁の催しだが、これが大変な人気で、純益は芸人の養老基金にあてられた。

 金儲けでなく「慈善」というのがミソであり、ナヤマシ会も当初この形をとった。第1回公演では、出演者へのギャラは石鹸1ダースで、大辻司郎など、「ハハア、顔を洗って出直せという洒落だよ」と話していたとか。だが、慈善では長続きしない。予想外の人気がでたことから次第に営利をも目指すようになった。

みんなナヤマシ会の真似か亜流

 いかにもナヤマシ会らしい演し物のとして、「一人黙劇」といったジャンルにはいる「うどん」がある。こんな内容である。 ・・・ログインして読む
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筆者

香取俊介

香取俊介(かとり・しゅんす) 脚本家、ノンフィクション作家

1942年、東京生まれ。東京外語大学ロシア科卒。NHKをへて脚本家、ノンフィクション作家に。「異文化摩擦」と「昭和」がメインテーマ。ドラマ作品に「私生活」(NHK)、「山河燃ゆ」(NHK・共同脚本)、「静寂の声」(テレビ朝日系)。ノンフィクション作品に『マッカーサーが探した男』(双葉社)、『もうひとつの昭和』(講談社)、『今村昌平伝説』(河出書房新社)など。