メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

必見! ナチ残党狩りを描くオーソン・ウェルズの『謎のストレンジャー』(中) ――ウェルズという“呪われた天才”の肖像、および彼の<作家性>について

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 前回書いたようにエンタメ度全開の『謎のストレンジャー』は、じつはオーソン・ウェルズの作品中では異色ともいえる直球勝負の映画だ。じっさい、このフィルムの作風は、ハリウッド古典映画ならではの、歯切れのよい簡潔なタッチや、スムーズな画面展開が主調である。

 しかし注目すべきは、そうした「古典的」な作風の中にも、ウェルズ独特のバロック演出が抑えられた形で見え隠れする点だ。が、それについて述べる前に、オーソン・ウェルズという“呪われた天才”について、また彼の怪物的な傑作群を特徴づける<バロック性>について、ざっと触れておこう。

 周知のように、オーソン・ウェルズは監督としても俳優としても、映画史上もっとも重要な人物のひとりであり、25歳で監督・主演した(!)『市民ケーン』(1941)によって、一躍映画ジャーナリズムの寵児(ちょうじ)となった。

 だが、絶大な権力を誇った新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863~1951)をモデルにしたこの破格の傑作には、その後ウェルズが背負うことになる、“呪われた天才”の刻印がすでに押されている。つまり公開当時、『市民ケーン』は評論家には激賞されたが、1930~40年代の古典的ハリウッド映画の文法を大きく踏み外したバロック(過剰装飾)的な演出のせいで、興行的には惨敗した。

 ウェルズ映画のバロック性とは――クレーン・カメラによる常軌を逸した長回し、広角レンズによる奇形的にねじれ歪曲し膨張する空間、大きく斜めに傾斜した構図、ディープフォーカス/深焦点のレンズによって(遠近感を誇張した)異様に奥行きの深い縦の構図、画面をモザイク状に埋め尽くすおびただしいモノ、祝祭的なにぎやかさ、表現主義的な明暗の強烈な対比、複雑に錯綜する時制などなど、である。

 さらに、ハーストの息のかかったメディアの執拗な妨害も、『市民ケーン』の不評に拍車をかけた。

・・・ログインして読む
(残り:約1821文字/本文:約2641文字)