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[2]第1章「忘れられた歌姫――青山ミチの存在と闘い(2)」

ライヴァルは弘田三枝子

菊地史彦

失踪する少女

 青山ミチを扱った最初の雑誌記事は、おそらくレコードデビュー直前の『週刊女性』(1962年9月5日号)に載った人物紹介である。大見出しは見開きをぶち抜いて、「ママもう心配しないで」。その上に「混血少女歌手物語」と記事の趣旨が示され、沖合を貨物船が通る港の岸壁で、頬杖をつくミチの写真を載せている。さらに最初のページには、重ねるようにして「混血児の宿命にめげず明るく人生を切り開いていく少女に運命はほほえみを投げかけた」とあり、大衆誌が彼女の「在り方」を切り取る角度がはっきり示されている。

『週刊女性』(1962年9月5日号)拡大『週刊女性』(1962年9月5日号)
 記事には、ミチ自身と母親・君子の談話を中心に、ミチの出生と成長、歌手デビューへのきっかけなどが書かれている。たった3ケ月前までは無名だった少女のシンデレラ・ストーリーであり、逆境をはね返して成功を勝ち取ろうとする母子の闘いを応援するように見える。

 ただし、その記事はなにげない筆致ながら、母子を取り巻く周囲の視線を、女性誌一流の「勘」で捉えている。

 たとえば、レコードを吹き込む娘を見て涙ぐむ母のかたわらで、ディレクターたちはミチの歌を称賛しながら、低い声でこう語っている。

 「このリズム感のよさ。パンチがきいてるね。やっぱり、あっちの血はちがう」

 「あっちの血」は、黒人の優れたリズム感を指しているのだろうが、これは誤認で、ミチの父親ケリーは白人である。ミチのすぐ間近にいる人々のまなざしにも歪みがある。

 さらに、記事の末尾で、母・君子は次のように述べる。 ・・・ログインして読む
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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) 

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立し、企業の組織課題やコミュニケーション戦略を中心にコンサルティング活動を行なう。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『情報文化の学校』(共著、NTT出版、1989)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)がある。