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ウェイン・クラマーの『スティーラーズ』を見逃すな!(下)――小道具としての仮面、粋な「サービス・カット」、“パルプ”な想像力について

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は、「上」で触れられなかった『スティーラーズ』のいくつかのポイントを、例によって箇条書きにしてみたい。

*『スティーラーズ』では、イカれた強盗団がピエロの面やガスマスク風の仮面、あるいは目出し帽をかぶって登場するのも、スリル満点だ。そもそも犯罪映画と仮面・覆面・変装は切っても切れない関係にあるが、<犯罪映画における仮面>というモチーフは、サイレント期のルイ・フイヤードの『ファントマ』(仏)あたりにまで(あるいはそれより以前にまで)、そのルーツをたどれるだろう。

 そういえば赤塚敬子氏の『ファントマ――悪党的想像力』という力作評論が、昨年(2013)風濤社より上梓された。ちなみに『スティーラーズ』では、ピエロの面をかぶった強盗ポール・ウォーカーが、矢をつがえた弓を引き絞って敵方に狙いを定めているうち、疲労でしびれた腕を滑らせ、誤って相棒ケヴィン・ランキンの胸のド真ん中に矢を射ってしまうという、恐怖と笑いがミックスされた瞬間も最高。

*劇画ふうの画(え)が、そのままオーバーラップでそれとそっくりの実写映像に重なってシークエンスが始まる、といった手法もかっこいい。また2人の人物が向き合う場面で、切り返しでカットを割らずに、ギューンという音響をともなったCG合成の(?)クイック・パンで彼らを写す撮り方もグッド(パンはカメラの首振りのこと)。いったいどうやって撮ったのだろう。

 さらに、不意打ち的なフラッシュバック/回想ショットも冴えている。前言をひるがえすようだが、クラマーは前記のような変則的オーバーラップや、ブラックアウトなどを駆使した場面転換がとても巧い。

 ついでながら、2014年1月17日付の読売新聞・夕刊掲載の、「恩」の署名のある本作についてのコメント中の、「物語や会話がしっかり練れていない」という感想は、ちょっと違うと思う。ある種の整頓されていない、いわば無駄で猥雑な余白感があってこそ、本作における、不意打ち的なディテールの数々は精彩を放っていると思われるからだ。

*『スティーラーズ』では、エンド・クレジットも要注意で、いわゆる“サービス・カット”として映写される「NGカット」などが、洒落っ気たっぷりで嬉しくなる(なので、館内が明るくなるまで席を立たないのがオススメ)。こうした“サービス・カット”の映写は、ともすれば、「映画が映画でしかない」ことを告げる「メタ」な――映画の外側から映画を批評的に眺める“インテリっぽい”――次元を観客に意識させるものになる。つまり、いま見終わった映画の「リアルさ」を削(そ)ぐものになりかねない。

 だが本作のそれは、そうはならない。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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