2013年09月21日
9月6日、宮崎駿監督の引退会見が大々的に報道された。アニメーション映画の監督の引退がここまで大規模に報じられたことは過去に例がなく、おそらく今後もないであろう。全てのメディアが惜しむ声と感謝の声に染まる中、「映画監督で72歳はまだ若い」「新藤兼人は98歳まで撮ったじゃないか」などの不満や疑問の声も多々聞かれた。「用意、スタート」の掛声と現場指揮が「アニメーション監督」の仕事ならば、真っ当な疑問かも知れないが、実態は異なる。
「アニメーション監督」の職域は定義不能なほど幅広い。しかし、量産・低予算・分業化の結果、今や範囲の収縮は自在である。つまり、どこまで何をやるかは本人次第だ。会議で方向性を指示するだけの者、絵コンテを書き終えると立ち去る者、制作スタジオに一度も顔を出さなかった名だけの「監督」も実在する。
逆に、現場を片時も離れず、絵コンテから作画・背景・彩色・撮影など全セクションに目を光らせ、あらゆる仕事に手を入れ、限界まで働く「監督」もいる。その仕事量は千差万別。並列では済まされない。
宮崎駿の場合、その本質はアニメーターである。疾走するが如くのスピードで手を動かし、全てを描きながら思考し、描きながら構築する。ほぼ全カットに手を入れ、万物の動くタイミングを脳裏で計算し、誤差を的確に正す修正画を描いては、原画の束に挟み込む。要するに、紙の上で主人公から草木・風に至るまで、1/24秒のコマ単位で計算して完璧に演じきることを目標としている。
制作中の約2年間、朝から晩まで、病欠以外はほぼ無休で机にかじりついて描き続ける。同時に現場を取り仕切って各セクションに仕事を振り分け、各進行上の打ち合わせ・会議・チェック・判断・指導も行う。優秀なスタッフの基盤の上に成立するとは言え、その集中力と持続力は想像を絶する。
かつて宮崎は、このような制作過程について自ら「創意と情熱がなければただの苦行だ」と評している。筆者が12年前に行ったインタビューでは「その2年間は映画の下僕となり、全ての思考は映画中心になる。制作を終えると、脱力し数日間の記憶障害が起きる。日常生活に戻るまで半年かかる」と語っていた。
5年前に聞いた話では、老化による思考低下を防ぐため、
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