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宮崎駿監督の引退と今後のスタジオジブリ(下)――高畑勲監督『かぐや姫の物語』中間報告会見とスタジオジブリの展望

叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師

 宮崎駿監督の引退会見から11日後の9月17日、高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』の中間報告会見が都内で行われた。各メディアは、主人公の「かぐや姫」を朝倉あきが、「竹取の翁」役を地井武男が演じていたことを大きな扱いで伝えた。

 特に、地井武男は2012年6月に死去していることから、「地井の遺作」であることが、最大のトピックとして報じられた。しかし、「なぜそんなに前に声が収録されたのか」と誰も疑問に思わないのだろうか。

『かぐや姫の物語』のプレスコで。左から宮本信子、朝倉あき、高畑勲、地井武男=東宝提供『かぐや姫の物語』のプレスコで。左から宮本信子、朝倉あき、高畑勲、地井武男=東宝提供
 通常、アニメーション映画の記者会見や舞台挨拶に立つのは、監督やプロデューサーと声を演じた人々である。「声を演じた人々」と記したのは、キャスティングは職業声優に限らず、男優・女優・芸人から演技経験のない制作関係者まで幅広い人選があるからだ。

 報道や宣伝は、専らこの「声を演じた人々」を中心に展開する。しかも、役の重要度や演技の巧拙よりも、演者の知名度やゴシップなどが報じられがちだ。

 どこのメディアでもこのような芸能記者的視点のみでは、いつまでもアニメーションの制作実態を文化的・芸術的に評することは難しいのではないだろうか。

プレスコとアフレコ

 アニメーションの制作行程は実写とは大きく異なる。当然だが、「声を演じた人々」が直接スクリーンで演じることはない。映像で展開される芝居は、監督の指導の下、複数のアニメーターによって生み出されたものだ。アニメーターは真っ白な動画用紙に大量の画を描き、無から演技を描き出す。その労力は膨大だ。仮に、実制作が1年・12ヶ月だとすれば、10ヶ月以上はアニメーター達が画を描き、同時並行で背景画が描かれ、キャラクターに色が塗られ、撮影される期間が占める。

 そうして出来上がった映像に、後から声を吹き込むのが「アフレコ(after recording)」である。声の演者は画面上のキャラクターの芝居と唇の動きに声による演技をシンクロさせ、映像を魅力的に飾り立てる。アフレコは、終盤の仕上げに位置する工程であり、通常は1日から数日で終了する。つまり、作画上の演技が先行し、声演は後追い・加算型となる。

 なお、完全分業・高速量産・低予算が前提の日本では、作画が未完成のため、台詞の秒数+コマ数に合わせて動かないコンテ画や白画面に色線だけを流し、そこに声優が完成形の芝居を想像しながら声を吹き込み、ギリギリで合成させて納品という、アクロバティックな行程が頻繁に行われてきた(当然、キャラクターの口と台詞のシンクロ率は不完全だが、最終調整などの功績もあり、特に問題にされて来なかった)。このような日本独特の異常な行程も、制作現場では「アフレコ」と呼ばれている。

 一方、これとは逆に、ラジオドラマの要領で声だけを先に吹き込む行程を、「プレスコ(pre scoring)」または「プリレコ(pre recording)」と呼ぶ。欧米(特に英語圏)では、プレスコの発声に伴う唇の形を作画でピタリと合わせるリップシンク(lip synch)が主流だが、日本ではほとんどがアフレコである。

 プレスコは、声演のニュアンスやアクセントを活かし、そこにシンクロさせる演技が紙上で追求される。つまり、声演先行、作画上の演技が後追い・加算型となる。一般的に、アフレコよりもプレスコの方が作画上の制約が多いため、はるかに時間と手間がかかる。

 いずれにしても、映像上の芝居はアニメーター達と「声を演じた人々」との協働作業によって完成するもので、どちらか一方では完成はしない。

 しかし、両者の役割は同一ではない。無口なキャラクターや台詞のない演技が続く場合、声演者は不在でも成立するが、アニメーター不在はあり得ない。その重要度と労働日数は比較にならない。しかし、アニメーター達は無名のまま、注視されることも、評価されることもなく、その作業内容は、取材されることも、報道されることも(一部専門誌を除けば)ほとんどない。

 アニメーション研究家のおかだえみこは、「その昔アニメーターとは〈絵を動かす機械〉と書いた雑誌記者がいた」と指摘している。今も笑えない冗談である。

なぜ、プレスコなのか?

 話を冒頭に戻す。

 高畑勲監督は、『火垂るの墓』(1988年)以降、ずっとプレスコにこだわって来た。様々な制約で、全てをプレスコ録音というわけには行かず、『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』(1991年)『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)と、いずれもアフレコの追加録音も行ったそうだが、極力発声のニュアンスに作画を近づけようと地道な努力を続けて来た。

 『かぐや姫の物語』では、ほとんどがプレスコだと言う。地井武男が翁の声を演じたのは、2011年夏頃。この時、おそらく数日に亘って録音された音源を元に、以降2年以上に亘り、作画行程で芝居が描かれ続けて来たことになる。

 「これまでで最も制作が難航した」と言われる前作『となりの山田くん』でも、プレスコは完成の1年前。単純計算で『山田くん』の2倍の期間であり、前例のない長さである。逆に言えば、プレスコ方式で2年も作画期間を設けた結果、「故人の出演作」となってしまったわけだ。その特異な経緯も、ほとんど報じられていない。

 では、なぜプレスコなのか。高畑監督は以前、こう記している。

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