2014年02月25日
『ニシノユキヒコの恋と冒険』を見終わって、体がかすかに宙に浮くような心地よさを覚えた。――単館規模ながらロングランを記録した『人のセックスを笑うな』(2008)以来、約5年ぶりに井口奈己(いぐち・なみ)監督が完成させた極上のラブコメである(原作は川上弘美の同名小説)。
デビュー作『犬猫』(2004、35ミリ版)も『人セク』も、そして本作もそうだが、井口奈己の映画では、「迫力」や「衝撃」とは真逆の、ユルーい時間が流れつづけるのに、ドラマは少しも弛緩(しかん)することがない。画面には絶えず微細な変化が起きている。
なので、ひそやかな張力/テンションは途切れない。そしてそれが、見る者の興味を片時もそらさないのだが、そうした体温の低いおかしさやサスペンスこそ、井口作品ならではの魅力である(井口奈己の映画術については追い追い述べる)。
<物語の不完全な要約:ルックス抜群で仕事もでき、セックスも上手、しかも女には心優しいニシノユキヒコ(竹野内豊)。彼は何人もの魅力的な女たちに愛された稀代のモテ男(基本、二股はかけない)。しかも、全然マッチョではなく、いつも放心したような様子で、どこか浮世離れしている(ゆえにナンパな感じも皆無)。ニシノは女たちとふんわりした時を過ごすのだが、彼女たちは必ず彼のもとを去ってゆく。そして回想形式を中心に、そんなニシノの切なくもユーモラスな人生が、淡い夢のように浮かび上がる……(これも後段で述べるが、この映画の回想形式も超絶[脚本・井口奈己])>。
井口の映画では毎回キャスティングも絶妙だが、本作でも、つかみどころのないモテ男、ニシノユキヒコに扮するハンサムな竹野内豊が、最高にハマり役で、何ともおかしく切ない。竹野内のキャリアの中でも、これほどケッサクな役どころは初めてだろう。
つまり、ハンサムなのにちょっとズレてるという、これまでの竹野内豊のイメージをご破算にするような、一見ミスマッチな彼の役柄がすこぶる新鮮で、かつ変におかしいのだ。あるいはこう言ってもいい。ハンサムな竹野内だからこそ、喜劇役者のように積極的に笑いを取るのではなく、そこはかとないユーモアにくるんで、ニシノの茫洋(ぼうよう)たる変人ぶりを演(や)れたのだ、と――。
もちろん、ハンサムだけど変な人というキャラは、ハリウッド古典期にハワード・ホークスが撮ったスクリューボール(変人)・コメディのケーリー・グラントなどが、その典型である。だが、ホークス喜劇のケーリー・グラントが相手役の女優と丁々発止(ちょうちょうはっし)のマシンガントークを交わすのに対して、竹野内/ニシノは口数が少なく、あくまでのんびりとして鷹揚(おうよう)なのだ。
そしてニシノは、自分からは何も仕掛けないのに、女のほうから寄ってくるという、なんとも羨ましい男だ(世の中はなんて不平等……)。まあ、ニシノもちょっとはボソボソと口説いたりするけど、それはもう女を十分に引き寄せておいて、“触れなば落ちん風情”の女を誘うんだから、楽ちんなものだ。もちろん、下心などない(かのような)様子で、ひょうひょうと振る舞うニシノの姿は、“天然”っぽいので少しも嫌味にならない。
そんなニシノを主人公にした本作のキャッチ・コピーに、「モテるのに最後は振られる男」といった意味のフレーズがあるが、それは少し違うのではないか。
なるほど、ニシノとかつて付き合ったある女は、作中でおよそこう言う――女がみなニシノのもとを去ってゆくのは、彼が「全ての女の子の欲望に応えちゃうから」だ、と。しかし、いうまでもなくこのセリフは、分かったようで分からない、かなり漠然としたものだ。
むしろ、ニシノが一人の女と長く続かないというのは、あくまで作劇上の理由からなされた<設定>ではないか。なぜなら、ニシノがやがてそれぞれの女と別れるという設定にしなければ、彼と付き合う女たちを作中に次々と登場させる展開が、スムーズにゆかなくなるからだ。
まあ、あえてニシノの性格ないしは人物像に引き寄せて言うなら、彼は無意識のうちに自分を振るように女を仕向けているのであって、ゆえに彼と女たちの別れは、なんとなく女が彼から離れてゆくという、自然消滅と紙一重の成りゆきになるのだと考えられなくもない(ニシノが、一夜を共にしたある女に「結婚しよう」と言うと、女が微妙に呆れたような顔をする場面があるが、どうも彼は彼女の反応を見越してそう言ったようにも見える)。――ただし本作は、心理的な「なぜ」を理詰めで考える人向きの映画というより、キャラやシチュエーションや場の空気感を虚心に楽しめる人向きの映画だ。
面白いのは、こうしたニシノの人物像に戸惑っていた竹野内豊に、共演の尾野真千子が撮影の合間に言ったという、次の言葉だ
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