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ユルーいのに緊張が途切れないラブコメの超傑作、『ニシノユキヒコの恋と冒険』(下)――超絶な回想形式、カジュアルな幽霊、魅力全開の本田翼など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 井口奈己監督は、『ニシノユキヒコの恋と冒険』の脚本を何度も書き直した、と語っているが、いちばん苦心したのは、たくさんの女たちを時系列の中でどう捌(さば)くか、という点だったという。

 すなわち、10章に分かれている川上弘美の原作では、章ごとに語り手が違う――ニシノと関係のあった女が1人ずつ各章の語り手となる――が、映画でそれをやったら、長篇3本分くらいの長さになる。それはとても無理だ。では、どうすればいいのか、とあれこれ悩んで脚本を書き直すなかで、井口は、ニシノを中心にした回想形式を思いついたという。

 そしてその後も模索をつづけ、加筆修正をくり返した末に、さまざまな過去へと時間がさかのぼるフラッシュバック形式で、ニシノのまわりに何人もの女たちを出没させる完成稿が出来上がったという(興味深いことに、そうした脚本作成段階で井口が最もインスパイアされたのは、回想とナレーションで進行するサッシャ・ギトリの傑作『とらんぷ譚』<1936、仏>だという)。

 なお、後述するお葬式の場面以降の回想の語り手は、ユリ/阿川佐和子だが、彼女のナレーションはいつのまにか、ニュートラルで3人称的な声のように響きを帯びる。しかも画面に彼女のナレーションがかぶさる回数は少なく、回想を呼びこむ単なるきっかけのように響くので、われわれは一連の過去の映像が――彼女自身が登場する場面を別にして――彼女の回想であることを忘れてしまい、それらを目の前をリアルに継起してゆく<客観的な現実>として受け入れてゆく。さりげないが、巧い話法だ。

 ともあれ、このような卓抜な回想形式によってこそ、ニシノと女たちの過去の恋愛模様は時制の混乱を招くことなく――時系列の流れがブレないので――、順序よく描き出される。

 実際、本作が描く、ニシノと関わった女たちのエピソードは、おそらく10年以上の時間のスパンにおよび、物語はかなり重層的に入り組んでいるはずだが、映画を見ている最中は、われわれは時制の迷路をさまようことはない。各エピソードを、それこそふわーっとつながってゆく、ゆるやかな流れの中で堪能するのだ。

 くり返すが、これは超絶な話芸だ。しかも、井口が脚本段階で苦心惨憺した痕跡が、画面からは一切感じられないのも凄い(井口が本作の準備段階で費やした凄まじいエネルギーは、出来上がった映画では軽やかな可笑しさや切なさに変換され、昇華されているわけだ)。

 また、これも前述したごとく、断続的に作中に現れる少女・みなみ/中村ゆりかの成長も、物語の時制を印(しるし)づける定点となる(みなみの成長は、ユリ/阿川の回想同様、本作に描かれるさまざまな過去――下手すればバラけてしまっただろう――を、時系列のなかで明快に順序づける役割を果たしている)。

 そして実は、冒頭まもなくニシノは交通事故で死んでしまい、その後、みなみにだけ見える幽霊として2度出現する! いうまでもなく、事故死したニシノが幽霊として再登場するというこの展開こそ、本作に回想形式を呼びこむ最大のポイントのひとつである。

 だがそれにしても、まったく怖くない、のほほんとしたニシノ/竹野内の幽霊ぶりには目を見張る。もともと、<希薄なのに鮮明>という不思議なイメージを放つニシノ/竹野内は、その存在自体がなかば幽霊的だともいえるが、そんな彼が、より儚(はかな)げな印象ではあるが、あっけらかんとした普通の感じの幽霊として出てくるのだ。

 そして、ニシノの幽霊は、驚いているみなみに向かってボソっと、「[かつて]会っていたときと同じ年齢設定で出てきました、中身は変わってません」などと、涼しい顔で言うのだ(!)。まったくもって、出色のアイデアと描写である(ニシノの服装は、生前も幽霊になって以後も白いシャツやジャケット、ズボンも白で、茫洋とした彼の<幽霊性>にぴったりのファッション)。

 もうひとつ、前半とラスト近くで2度描かれる、ニシノのお葬式――広壮な庭園のある彼の豪邸で行なわれる――に大勢の女たちが集まってくる場面にも、うならされる(ロングの長回しで撮られる、ゆるやかにカーブした坂道を静々と歩く喪服の女たちの姿が、テオ・アンゲロプロスの映画や、黒沢清『ニンゲン合格』(1999)の葬儀のシーンを想わせて印象深い)。

 そして、時間が過去へとさかのぼる本作にあって、ニシノの事故死や彼の幽霊出現同様、前半のお葬式のシーンが物語の要(かなめ)となるのは、ニシノが付き合った女たちをあらかじめ“全員集合”させて、観客に彼女らをざっと目次のように紹介し、さらに前述のユリ/阿川の回想をスムーズに導入する役割を果たしているからだ。これまた巧みな場面設定である。

 とても魅力的に描かれる、ニシノと付き合った若い女の子たちについても触れておこう。

 まず、本田翼演じるニシノの元恋人・カナコが、抜群にいい。カナコは、ニシノと別れてからも彼にまとわりつき、彼と2人で伊香保温泉に行く。そして野原で、軟体動物のように柔らかそうな体をくなくなさせて、ニシノに「セックスしよ」なんて言うが(ニシノは拒む)、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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