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お金の本来の役割を考える本(上)――『債務共和国の終焉』

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

 4月に消費税率が上がる。福祉目的税だ何だとの能書きはあるが、そもそも福祉は国家の役割なのだから、要するに国家財政の危機が増税の理由である。実際、日本は今、GDPの2倍もの債務=借金を抱えているという。

 じゃあ、しょうがないか、いや、ちょっと待った! 日本の国債の大半は国内で消化されており、国の負債は1000兆円だが国の資産も800兆円ある。そして民間の金融資産は1500兆円に上るらしい。じゃあ、一体「日本」は、誰に対して債務があるのだろう?

 “この債務はいったい誰の責任なのだ? 借りた金はどこに消え、誰が使ったのだ? 貨幣の機能とは、借財を増やすことにあったのか。だとすれば、国家は偽金をばらまいていたようなものである”

 市田良彦・王寺賢太・小泉義之・長原豊著『債務共和国の終焉――わたしたちはいつから奴隷になったのか』(河出書房新社)は、このように告発する。

 日本に限った問題ではない。

 世界全体でも、1989~2011年、実質GDPが20兆ドルから70兆ドルに推移する間に、債券の時価総額は15兆ドルから100兆ドルへと膨れ上がった。世界は、「生産」するより多くを「借りる」ようになったのだ。

 何故? それでは、借りた金を使うことも出来ないではないか!?

 労働の価値が商品の価格に反映され、それに基づいて交換が行われるという経済モデルにおいては、あり得ない事態である。マルクスが喝破した「搾取」も、あくまで商品の生産過程で発生する限りは、債務が商品価格の合計を上回る筈がない。

 今起こっているのは、生産している者から生産していない者への、富の不平等、不正な移動なのである。マルクスは、生産現場での搾取以外に、そうした移動が合法的に行われていく仕組みも発見していた。地代すなわち土地のレント(レンタル料)である。

 土地を囲い込むことで地代が発生するように、今、様々なものが人為的に希少化されている。今や産業の7~8割を占めるサービス業、感情労働の賃金も、従事者の身体の「レンタル料」と言える。そして、多くの労働者は自らの身体を「希少」化するため、国家が人為的に策定した「資格」を得るべく、自らに投資する。そこでもまた、債務が発生する。

 こうしたレントのしくみを支えるものこそ貨幣であり、加速するものこそ貨幣を発行する国家である。電子マネーなど紙という実体さえ持たない「貨幣」も「発行」され、金融工学がレントのレントを創り出し、搾取と債務の無際限な膨張が進行していく。

 デリバティブによって細分化された債権を、多くの人が知らず知らずのうちに引き受けている。“債券の最終的購入者は今日、「投資家」という特別な種族ではなく、ほぼ私たち自身である。私たちは私たち自身に金を貸している”。

 そうして、あらずもがなの利子、どこに吸い上げられるのかもわからない利子が再び債務を生む。その挙句の国家的な赤字、それを補うための課税、増税。“税とは奴隷労働を受け継いだ、国籍(及び人権)のレンタル料にほかならない”。

 こんな膨大なエネルギーロスを伴う疑似永久機関が国家なのだとしたら、そんなレンタル料など支払いたくない。

 “労働時間が価値の唯一の尺度であって、取引が等価交換であれば、今日の債務問題は端的に存在しない”ことを再確認し、“なぜ債務は弁済しなければならないのか。借りた金は、なぜ返さなくてはならないのか”を改めて問い直す『債務共和国の終焉』の4人の著者たちの次のような結論は、事態を真剣に見つめれば見つめるほど、説得力を感じさせる。

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