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成瀬巳喜男の知られざる傑作時代劇、『お国と五平』が東京・渋谷で上映

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 成瀬巳喜男(1905~69)はいうまでもなく、小津安二郎、溝口健二らとならぶ日本映画史における至宝だ。

 しかし成瀬は、今なお「庶民劇」「小市民映画」「芸道もの」の名手、と括(くく)られることが多い。それは誤りではないが、かなり一面的な成瀬像である。というのも、成瀬はブルジョワ家庭劇『噂の娘』(1935)、『雪崩』(1937)、『女人哀愁』(同)、あるいは犯罪スリラー『女の中にいる他人』(1966)――いずれも傑作――などを撮っているばかりか、『三十三間堂通し矢物語』(1945)、『お国と五平』(1952)という2本の傑作時代劇をも残しているからだ。

 今回取り上げるのは後者の時代劇『お国と五平』――原作は谷崎潤一郎の同名の戯曲――だが、東京・シネマヴェーラ渋谷の山村聰特集の1本として上映されるこの映画は、『三十三間堂~』とともに、成瀬がこのジャンルの達人でもあったことを端的に示している。のみならず、この変則的な仇討ち劇は、成瀬のおはこだった情感豊かな「女性映画」、ないしは「恋愛メロドラマ」の色彩が強い点でも、きわめて成瀬らしい貴重な映画だといえる(以下、ネタバレあり)。

――お国(木暮実千代)は、かつて優男の友之丞(とものじょう:山村聰)の許嫁だったが、彼が軟弱、怠惰であるため、伊織(田崎潤)と見合い結婚する。が、嫉妬にかられた友之丞は伊織を闇討ちにする。お国は、お供の五平(大谷友右衛門)を連れて仇討ちの旅に出るが、5年間の諸国放浪の果て、2人は国許で忘れられてしまう。

 旅先で病んだお国を、五平はかいがいしく看病し、彼女の病が癒えたとき、2人はついに主従の関係を超え、道ならぬ男女の仲になる(<侵犯行為/タブーを犯すこと>が、メロドラマ的性愛の沸点となる典型的な展開)。

 それでも2人は仇討ちをあきらめない。首尾よく仇(かたき)を討つことは、五平の忠誠心の証明ともなり、さらにそれが――いささか皮肉なことに――、主従の関係であるはずの2人が、国許で晴れて夫婦になることの担保/保障となるのだ(こうした展開ゆえ、2人が一線を超えるヤマ場のあとも、スリルとサスペンスの渦は途切れずに、いわば波状攻撃のように見る者をとらえてゆく)。

 そして、ようやく2人は友之丞を探しあてる。五平が憎き仇を討ち取り、2人は国許への帰路につく(後述するように成瀬は、このラストを谷崎の原作のようなカタルシスのある「結」にはしない、ある映画的な工夫をこらしている)。

 ともあれ2人は、身分差を超えて男女の仲になることで、いったんは武家社会の掟を破るが、本懐を遂げることで、ふたたび掟の中へと翻身(ほんしん)する。しかも2人の仇討ちの成就は、身分違いの恋という、「掟破り/不義」の関係を図らずも隠蔽することにもなる(友之丞は中盤で2人の「不義」を知ってしまうのだから)。

 こうしたダイナミックでアイロニカルな展開は、むろん谷崎の原作にも描かれているが、これから見るように、成瀬はそれを独自の<画法>によって、映画の側に見事にたぐり寄せている。

 役者に関していえば、掟に縛られた「やんごとなき」人妻を演じつつ、爛熟(らんじゅく)した/年増盛りの色気を濃厚に漂わせる美貌の木暮実千代は、溝口の『雪夫人絵図』(1950)におけるのと同様、なまめかしい存在感を放つ。

 忠誠心あふれる若武者に扮する歌舞伎役者・大谷友右衛門も、無駄のない立居振舞を見せ、映画にぴたりとシンクロ/同調している。そして、柔弱で怠惰であるのに、ほとんど異常者のようにお国への執着をあらわにする、薄気味悪くとらえどころのない友之丞に扮する山村聰が、なんともハマり役である。

 そもそも、このたびの特集の「主役」山村聰(1910~2000)は、善人も悪人も、あるいはその両者の要素を兼ねそなえた役柄をも、微妙なニュアンスで演じられるユニークな俳優だったが、『お国と五平』で山村の扮する友之丞も、チラシにあるように、「別れた女の夫を闇討ちし、女に追いすがり、いざとなると命乞いする何とも女々しい(……)[ある意味で]成瀬的とも言えるリアルな人間の本音を体現し」ていて、間然するところがない(ここで言われている「成瀬的なリアルな人間像」とは、成瀬がしばしば、『浮雲』(1955)の森雅之のような優柔不断でエゴイスティックな男や、『杏っ子』(1958)の小説家志望だが才能に恵まれず、不満をくすぶらせて妻に当たり散らす神経症的な夫・木村功のような男を登場させたことを指す。そういえば、山村聰は『杏っ子』では娘・香川京子――木村功の夫――の父親である厳格な作家を好演した)。

 なお、今回上映の『闇を横切れ』(増村保造、1959)で新聞社の編集局長に扮する山村も、善と悪の境界線上を生きる難しい役所をみごとに演じている。

 さて、もはや強調するまでもなく、『お国と五平』の面白さの肝は、仇討ちの旅に出た身分違いの男女がいつ、どのようにして一線を超えるか、そしてまた、2人がいつ、どのようにして友之丞を見つけ仇を討つかにある。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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