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学生に示せるのは、「ぼくはどんな本を読みたいか」「どんな本に歓びを得たか」だけだ

福嶋聡 ジュンク堂書店難波店店長

 子供の頃から本は好きだったが、他人から「これを読め、あれを読め」と言われることは好まなかった。だから課題図書は嫌いだった。駅前の書店に行って書棚を眺めながら、或いはつりさげられた文庫目録を開きながら、次は何を読もうかと思い悩むのが、ひょっとしたら読書そのもの以上の楽しみだった。その楽しみを奪われる筋合いはない、と思っていた。

 だから、間違って〈子供に薦めたい本〇〇冊〉を選定する会議などに参加したときなどは、ひとしきり参加者のご意見を伺った後で、「むしろ〈子供に読ませたくない本〇〇冊〉を選定した方が、子供は本を読むようになるのではないでしょうか?」と、すべてを台無しにするような台詞を吐いてしまうのである。ほんとうにそう思うのだから、仕方がない。

 推奨されるものよりも、禁じられたものがより強い魅力の光を放つことが多い。禁忌こそ恋愛感情を強め高めていくことは、よく知られている。「あてがい扶持の恋愛」など、言語矛盾も甚だしい。〈薦めたい本〉よりも〈読ませたくない本〉を選ぶべきだと言ったのは、それゆえである。

 本を読むのは、最初から楽な作業では決してない。難解な文章で紡がれた長編小説を読むことは、時に「苦行」である。最後の一文に辿りつかない限り、歓びは得られず与えられるものも僅かでしかない。文字を知り、言葉の意味を知らないと読書は不可能だし、気散じしない集中力も欠かせない。

 読書を始めるための準備・訓練には想像以上に時間がかけられており、時にある程度の苦痛にも耐えなければならないのだ。何らかの見返りが期待できなければ、やれるものではない。ご褒美があってこその準備・訓練である。

 本は、実際に読んでみなければ、そして最後まで読み切らなければ得るものがあったかどうかは分からない。だから、眼前に〈読むべき本〉をどれだけ積み上げられても、決して「読みたい」という欲望は湧かない。

 人間が何かを始めるのは、年長者に自分のあるべき将来を見出し、それを模倣しようとすることによってである。だから、若者が本を読まなくなっているとすれば、それは大人が本を読まなくなっている、少なくとも自らが本を読み楽しむ姿を、模倣すべきものとして若者に見せていないのだと言わなければならない。

 「読書しない学生への本の選び方」などはなく、せいぜい提示できるのは

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筆者

福嶋聡

福嶋聡(ふくしま・あきら) ジュンク堂書店難波店店長

1959年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。1982年、ジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店、仙台店、池袋本店などを経て、現在、難波店店長。著書に『希望の書店論』(人文書院)、『劇場としての書店』(新評論)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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