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ウエルベックの傑作小説『地図と領土』を読む(上)――エンタメと「純文学」の奇跡的な融合、透徹したペシミズムと文明批評 

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『素粒子』(1998)で優生思想による遺伝子組み換えを、『プラットフォーム』(2001)でセックス観光を扱ったフランス現代文学の“危険分子”、ミシェル・ウエルベック。今のところ彼の最新作である『地図と領土』を読んだが、これがとんでもない傑作で、完全にやられてしまった(野崎歓・訳、筑摩書房、2013)。

――物語の骨子は、アーティストである1976生まれの主人公ジェドの、20代から晩年の70代までの創作活動を中心にしたドラマだ(つまりジェドの晩年は近未来だが、これもSF的要素を導入する巧みな時間設定)。ジェドの表現媒体が、写真、絵画、ビデオと移行してゆく点も、物語に動的な変化を生んでいる。またジェドは、それなりの処世術を身につけてはいるが、いささかも野心家ではなく、それどころか孤独でペシミスティックな厭世家だ。

『地図と領土』 ミシェル・ウエルベック.ミシェル・ウエルベック『地図と領土』(筑摩書房) 
 そうしたジェドの、クールな悲観主義や周囲への皮肉っぽい視線が、本作の主調音となる(これまでのウエルベック作品にみられた、対象を痛罵し嘲笑するような過激なトーンは抑えられているが、安直な“ヒューマニズム”や“良識”、あるいは様々な現代的な流行をからかい、挑発するような筆致は――より洗練されたかたちではあるが――相変わらず絶好調だ)。

 そして何より意表を突かれるのは、第二部におけるミシェル・ウエルベック本人の登場だ(以下、作中のウエルベックは「ウエルベック」と表記)。しかも「ウエルベック」は、文字どおり予測不能の運命に見舞われることになる(読んでのお楽しみ)。

 ともあれ、ジェドは図らずもアーティストとして大成功を収め、億万長者になる。その経緯とともに、回想形式も取り入れながら克明に記されるのは、ジェドのさまざまな作品、彼とロシア美人オルガ(ミシュラン社のアート部門の社員)との愛と別れ、そして、建築家にして起業家である彼の父親――癌に冒されている――の晩年、およびその死、などなどだ(チューリッヒに実在する安楽死施設/自殺ほう助クリニック、「ディグ二タス」も登場)。

 さらに、ジェドが肖像画を描くことになった「ウエルベック」との出会いと友情や、作者ウエルベックの、そしてまたジェドの分身であるかのような人間嫌いで狷介(けんかい)な作家「ウエルベック」の芸術観、人生観、ライフスタイルが、きめ細かくサスペンス豊かに描かれる。

 さらにまた、“酒鬼薔薇聖斗”を連想させる血みどろの斬首事件が、凡百のホラー小説を顔色(がんしょく)なからしめる残酷さで描破される(以上、第一部、第二部)。

 第三部のかなりの部分は、

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