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ウエルベックの傑作小説『地図と領土』を読む(下)――憂い顔の警視、植物の繁茂による世界終末のビジョンなど

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 (中)に引き続き、ミシェル・ウエルベック『地図と領土』における興味深いディテールを、項目別に引用し、注釈を付したい。

■憂い顔の警視ジャスラン

*第三部で登場するジャスラン警視も、筋金入りのタフな警官でありながら、まるでジェドや「ウエルベック」の分身のような、「人生経験を積みもはや何の幻想も抱いていない」(292頁)、繊細で憂い顔のペシミストだ。

 彼は死体/ガイシャの周囲に群がるハエについて、こう思いめぐらす――「ハエの視点からすると、人間の死体は純然たる肉以外の何物でもない」(252頁)、「[ガイシャ]はいまや無数のウジのための栄養物となりつつあるのか」(253頁、臆病な私なら、こんな状況にはとても耐えられず気絶するだろうな、と思いつつ読んだ箇所。この少し先の事件現場の描写は、さらに酸鼻さんびをきわめるが)。

 またジャスラン警視の職務ぶりの一端が、無能な鑑識の二人組への彼の苛立ちにからめて、精妙な筆づかいでこう書かれる――「ジャスランはヒエラルキーの上下問題に特にこだわるほうではなかった。警視である自分に対して、態度で敬意を示すよう厳格に求めるようなことは決してなかった……。だがこのとんまな二人組に対しては怒りを覚え始めていた。……明らかに彼らは、……パソコン端末に意味のないデータを打ち込むのが常なのだった」(263頁、パソコンの描き方の妙!)。

 また、ジャスラン警視がかつて犯行現場の光景に耐えられなくなって、あるスリランカの仏教センターに赴き、死体を前にした瞑想の修行をするくだりも興味深い(266-267頁)。

 しかし、ジャスラン警視の<犯罪者>についての考えは、人権団体からは抗議されかねない、「ダーティハリー」ばりの“危険思想”にさえ思われるものだ

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