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『Seventh Code:セブンスコード』の衝撃! 前田敦子をアイドルから女優に変身させた黒沢清の映画錬金術(下)――驚愕の大逆転など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『Seventh Code:セブンスコード』が3分の2を過ぎたあたりで、第1のヤマ場が訪れる(以下、ネタバレあり)。

 斉藤/山本浩司から情報を得た秋子/前田敦子は、松永/鈴木亮平がマフィアの闇マーケットに関与している事実を知る。秋子は松永に誘われ、彼の邸に行く。赤味がかったオレンジ色の巨大なカーテンが帆のように風をはらんで膨らむ、その広壮で瀟洒(しょうしゃ)な2階建ての邸は、前記の廃工場同様、がらんとした廃墟感が漂う黒沢ワールド全開の空間だ(『CURE/キュア』や『贖罪』最終話の廃墟的住居同様、獣の低い唸り声のような音響が流れる)。

 じつは松永は秋子を邸に招じ入れた直後、アジトを知ってしまった彼女を始末するよう、ある組織の密命を受ける。――興味深いのはまず、やはりそこでの秋子と松永の動き/動線だ。

 松永は電話に対応し階下に降り、仲間のロシア人女と言葉を交わしたのち、2階の客間に戻ってくる。が、そこに秋子の姿はない。松永は訝(いぶか)しげな面持ちで、客間→居間→寝室と画面奥へと移動してゆく(松永の見た目/主観ショットも探査機のようにスリリングに挿入される)。

 こうして、二つの扉をくぐり抜ける秋子と松永の、そして彼をフォローするカメラ自体のほぼ直線状の奥へのゆるやかな動き/動線によって、画面には息苦しいほどのサスペンスがみなぎる。いいかえれば、ここで秋子がフレーム・アウトして姿を消し、カメラが松永の視点となって彼女を追うという展開が、じつにサスペンスフルなのだ。

 ついで、驚愕の“大逆転”が起こる――秋子は寝室で、松永/カメラに背を向けてベッドに腰かけているが、背後に松永が迫ると、振り向いて彼をじっと見つめたのち、豹変したような素早さで彼の手首をつかみ、彼を投げ飛ばす。松永が起き上がると、秋子は彼の顔面や腹に続けざまにパンチ、肘撃ち、前蹴り、回し蹴りを連打する。劣勢に立った松永は、拳銃を撃って反撃するも失敗、扉の陰に隠れていた秋子に逆襲される。

 秋子は松永をヘッドロックしたあと、彼の正面に跳びつき、片足を彼の脇の下に、もう片足を彼の首に巻きつけ、彼にぶら下がるような格好になる。そのポジションから秋子は松永を手前に引き倒し、彼の下に潜りこみ、関節技・腕ひしぎ十字固めで彼の腕と首を絞め上げ、彼を気絶させる。

 そして、うつ伏せになって倒れている松永の後頭部に、クッションをかぶせ、その上から垂直に押しあてた拳銃の引き金を引く(その瞬間、舞い散る羽毛の映像も黒沢の偏愛するイメージ)。

 間をおかず秋子は、部屋の金庫を開け、核爆弾の部品クライトロンを手に入れる……。それら一連のアクション・シーンは、終始<引き>のカメラが闘う2人の全身をとらえるので、苛烈な活劇感が画面を席巻する。

 ともかく、観客からすれば物語の枠組みが一気にふっ飛ぶようなショッキングなこの“反転”によって、われわれは秋子がフリーの腕利きエージェントだったことを知る。

 そして、その少し前の場面で、秋子がある館のドアロックの暗証番号を知っていたことに合点がいき、またクライトロンを奪取した直後、流暢なロシア語で諜報機関に電話する秋子の姿を目にし、ウーンと唸らされるのだ。凄まじくもシンプル、かつ周到な作劇である(まさしく、<物語が化ける>のだ)。

 それにしても、われわれはこれほどまでに殺気に満ちた、いわば総合格闘技の実況中継的なアクション・シーンを、かつて映画で目にしたことがあっただろうか。

 かろうじて連想されるのは、香港カンフー映画の雄、胡金銓(キン・フー)監督の武侠映画や、阪本順治監督の傑作『カメレオン』(2008)、クリストファー・マッカリー監督、トム・クルーズ主演の秀作『アウトロー』(2012)、そしてブルース・リーの『死亡遊戯』(1978)に想を得たという、黒沢自身の傑作短編『Beautiful New Bay Area Project:ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』(2013)くらいである(CG合成によるアクション・シーンでは、こうしたドキドキする活劇的臨場感はけっして出せないだろう)。

 第2の、これまた仰天するようなヤマ場(ラストの死闘)について

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