2014年05月05日
東日本大震災から3年目の2014年3月11日、1本のコマ撮りアニメーションの無料配信が開始された。グラミー賞を受賞したイギリスのバンド、SADEの歌声にのせて静かに綴られる少女とぬいぐるみの動物2匹の物語、『By Your Side』。
少女とウサとクマは、仲良く暮らしていた。そこへ突然震災が襲い、ウサとクマは取り残される。2匹は家を片付け、互いをいたわり、ひたすら少女の帰りを待ち続ける。しかし、ようやく現れたのは放射線防護服の子だった……。
わずか5分47秒の短編だが、何度も観る度に深い余韻に包まれ、帰宅の許されない被災地の現実を深く考えさせられる。
この作品は被災地の子供たちの音楽活動を支援するチャリティー運動「ZAPUNI(ザプニ/旧シシリア語で鍬くわの意)」の一環として制作された。ニュージーランドのクリエイティブ・ディレクター、グレゴリー・ロードの呼びかけで、海外のアーティストの楽曲と日本のアニメーションのコラボレーションでミュージック・ビデオを制作し、ネットで無料配信して募金を募るというものだ。
ロードの指名で制作にあたったのは、『どーもくん』『こまねこ』などの素朴で可愛らしいキャラクターの生みの親として知られる合田経郎監督。制作には2年の歳月を費やし、「自分に何が出来るのか」と煩悶しながら完成させたという。
合田監督に制作意図や経緯、作品に込めた思いを詳しく語って頂いた。同時に、震災直後から合田監督が取り組んでいる「てをつなごう だいさくせん」についても伺った。
−−まず、『By Your Side』の制作に至った経緯を伺えますか。
合田 2012年2月に、グレゴリー・ロードから連絡がありました。東日本大震災の被災地を音楽や芸術に関わることで支援するという目的で、用意した楽曲でアニメーションを作って欲しいという内容でした。最初は寄付先も活動団体名も決まっていませんでした。
「サイケデリック・アフタヌーン」(坂本龍一&デイヴィッド・バーン)、「Hoppipolla/ホピポラ」(シガー・ロス)、「By Your Side」(シャーデー)の3曲で制作することが決まっていて、アニメーションはうるまでるびさん、山本寛さん、そしてぼくがそれぞれ作ることになりました。
合田 はい。その時点で「ZAPUNI」という団体名に決まり、寄付先は坂本龍一さんが広告塔を務めていらした「音楽再生基金」になりました。その後、色々ありまして今年の3月からはエル・システマジャパンが寄付先となっています。
−−3作一緒に制作がスタートして、合田監督がラストだったのですね。
合田 2012年に絵コンテを描きまして、色々な人に協力を仰いで仕事の合間にコツコツと撮り続けて、ようやく完成したという感じです。
−−導入部の可愛らしい動物たちが主人を待っているという設定や懐かしい感じの部屋のセットは、過去の『ぼくはくま』や『こまねこ』など監督の過去の作品にも通じていますね。
とにかく毎日コマ撮りですから、手間暇ががかかるんですよ。よく偶然素晴らしい景色が撮れて「映画の神様が降りてきた」なんて言うでしょう? コマ撮りでは絶対にそういうことは起きません。毎日地道に絵コンテの設計をひとコマひとコマ撮って再現するしかないんです。
だから、どうせ手間がかかるんだったら、ぱっと観て終わりという作品にはしたくないんです。何とかして10年、20年の視聴に耐えるものを……と考えていると、どうしても普遍的で古びない素朴な世界になるんです。最新の機器とか家電を配置すると、それだけで数年後には古い作品になってしまう。自分がそういう世界が好きだというのもありますが。
−−テーマの重さや視聴対象はこれまでとはかなり違っていますね。演出に際して葛藤があったのではないですか。
合田 東日本大震災でたくさんの人が亡くなって、住まいを失いました。そのことについて、日本人なら誰もが様々な思いを感じていると思います。そういう「死」とか「悲しみ」を感じながらストーリーを作るというのは今までにない経験でした。
−−震災直後に何があったのかを省き、ひたすら部屋で待つ動物たちの視点で被災の現実を描かれた意図を伺えますか。
合田 具体的にあったことは体験していないから描けないんですよ。全部勝手な想像でしかない。シンプルに一番知って欲しいこと、一番苦しいことは何だろうと思った時に、単純に「帰りたいけど帰れない」ことではないかと。家に帰るという未来が見えないという厳しい現状。そのことを忘れないで欲しい、知って欲しい、思い出して欲しいと思ったんです。それが正しかったのかどうかは、未だに分からないですけれど。
−−作品の印象が先行の「ZAPUNI」2作品とはかなり違うと感じました。3作品ともファンタジーで他2作は回復や希望を描いていますが、合田監督はもっと踏み込んでいらっしゃる。
合田 最初にグレゴリーから「こんな感じで」というプロットをもらったのですが、放射能ではなく、津波で滅茶苦茶になった野原が再生して行くというイメージでした。それを見た時に「いや、そんな簡単なものじゃないだろう」と思ってしまったんです。
そう思った自分がいる以上は、簡単なものは描けない。これが本当に、仕事として「作ってくれ」と言われてやるのであれば、それが出来たのかも知れません。でも、仕事ではなくて自主制作の作品で、しかも自分の名前の下でたくさんの人が集まって作るものなので、自分にとって嘘のないものであるべきだと決めて、絵コンテを描いて行きました。いたずらな希望よりは「こういう風に感じた人がいた」ということを残すべきではないかと思ったんです。
−−自然環境と人々の生活空間の再生を謳い上げると、作品としてはまとまりが良いですし、観る方も安心する。しかし、実際は福島の一部はあのままですし、家畜やペットたちは飢えて野生化し、やがて死んでいくしかないという悲惨な状況ですよね。思い出のつまった家も庭もただ放置されている。その現実を突き付けていらっしゃるように思えました。
合田 どうなんでしょう……。ただ、震災後は「何も出来ないんだな」という無力感をすごく感じたんです。「何が出来るんだろう」とずっと考えていました。特にキャラクターを作る仕事をずっとしてると、キャラクターグッズを現地にポンッと贈って「楽しんでね」じゃないだろうと思いました。ここから先が被災地で、こちらは被災してない健全な所なんだと、線を引くのも違うだろう……と考えて、「同じ気持ちになってみるっていうことから始めよう」と思ったんです。何とかよりそいたいという。そのくらいのことしか出来ないのではないかと。
−−ただ「頑張れば何とかなる」と外側から被災地を励ます類の作品とは、かなり動機が違いますね。
合田 実はプロデューサーが色々な人に意見を聞きたいと、途中まで出来たフィルムをNHK福島局の人に観てもらったんですね。すると、防護服の子が出て来る最後の方のシーンで「風評被害と闘っているのに、また防護服か」「やめて欲しい」という意見が出たそうです。同時に「いやいや、これぐらいやらなければダメだ」「現場はもっと大変だ。これくらいではぬるい」とか、「子供に見せるべきか、見せないべきか」といった議論が起こったんですね。それを聞いて、むしろこの作品を作った意味があったと思いました。映像から色々な議論が起きたらいいなと思っているんです。
−−確かに、小学校でも中学校でも是非観せてあげて欲しいと思います。知らない子は考え始める契機になるし、知っていた子は忘れずに考え続ける契機にもなるんじゃないかと思います。防護服の子は女の子なのか、その気持ちが形象化した幻影なのかとか。家に入れなかった理由とか……。
合田 防護服の子を撮る前の日まで「違うカットで誤魔化せないか」とか「違う表現は出来ないか」とか、「ラストにもっといいカットを持って来て素敵な余韻を残せないか」とか、色々考えたんですよ。防護服の子ではなく、お婆ちゃんになった女の子がやって来るという案も検討したんですが、「ホントにそれは実現するんだろうか?」と思い直してやめました。
そうしたことは、絵コンテを描いてからずーっと考えていて、撮影が始まってからも「どうしよう」と考えていて、結局絵コンテを何も変えずに撮り終わったんです。
−−帰宅が実現した方が、エンタテインメントとしてはずっと収まりがいいし、感動的になりますね。
合田 ええ、そうなんですが「数十年帰れない」という絶望でもありますからね。分からないこと、いい加減なことはやめておこうと思いました。結局、2年間自分は一人会議をしているだけで、何も進んでいなかったんだと思います。
−−逆に言うと、結論が揺るぎなかった、これしかないという着地点だったとも言えるのではないでしょうか。
合田 ほかのものは考えつかなかった――という意味ではそうですね。でもそんなに強い感じでもないんです、本当に。
−−防護服の子が現れて、がっかりしたウサとクマが自分たちの手を見つめてから振り払うカットが特に印象的でした。
合田 あれは伝わっても伝わらなくてもいいと思った難しい表現だったんですが、白い服を着た人がやって着て、自分たちは汚いものなのかと確認しているという演技なんです。そう思って落ち込んだ直後に、音楽が慰めるように流れてくる。どこから聞こえて来るのかは分からないですが……。
−−そうした結論の出ない難しい問題を端的・象徴的に描き出すという意味に於いて、アニメーションの底力を改めて感じました。
合田 ぼくもアニメーションの可能性を信じています。色々難しいことを語るよりも、深い思いが伝わるのではないかと。コマ撮りで完成させることが出来て本当に良かった。
−−この作品を作り上げたことで、合田監督は新しい一歩を踏み出したようにも思うのですが。
合田 やっぱり、可愛いとか、楽しいとか、ほっこりするとか、そういうことを言われる作品をずっと作って来ましたから、全く違うものを作ることにはすごく緊張しました。もう可愛いものは作れないかも知れませんよ(笑)。それから、被災地支援を呼びかけるという目的で制作された作品ですから、本当に多くの人に観て頂いて、少しでも募金に協力して頂ければ幸いです。
合田監督は、もう一つの被災地支援プロジェクト「てをつなごう だいさくせん」にも取り組んでいる。
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