2014年05月09日
東京・神保町シアターの特集企画「麗しき美少女伝説」が、5月10日から始まる。ラインナップは、さまざまな時代の「美少女」が出演する16本の邦画だが、今回は成瀬巳喜男監督の傑作、『まごころ』(1939、白黒、原作・石坂洋次郎)を取り上げたい。
1939年といえば太平洋戦争勃発の2年前だが、周知のように日本は、すでに1937年いらい中国との全面戦争に突入していた(日中戦争)。そして同年には、映画法――国家が戦争翼賛に向けて映画を統制する法律――が公布されたが、『まごころ』はそんな時代に撮られた戦時色の濃い作品である。
しかしながら成瀬は、高まる愛国主義や国家主義との妥協点をさぐりつつ、本作を自分の得意とした子ども映画、ないしは家族映画というメロドラマに仕上げている。後述するように、その点も興味深い(脚本も成瀬自身)。
なお主役の一人・富子に扮する可憐な悦ちゃん(本名・江島瑠美)は、当時のハリウッドの子役スター、シャーリー・テンプルになぞらえて「和製テンプル」と呼ばれ、人気を博した。
――舞台は地方の小都市。二人の少女、富子(悦ちゃん)と信子(加藤照子)は小学6年の仲好し同級生だが、彼女らの家庭は対照的である。すなわち、富子は庶民的なつましい家庭で育ったのに対し、信子は富裕なブルジョワ家庭の育ちだった。富子の父は亡くなっていて、心優しい母、蔦子(美人女優・入江たか子)と祖母(藤間房子)と暮らしていたが、「大日本愛国婦人会」の幹部を務める信子の母(村瀬幸子)は、ややギスギスした性格で気位も高く、銀行専務の父・敬吉(美男俳優・高田稔)とはしっくりいっていない。そして実は、富子の母/入江と信子の父/高田は、かつて恋仲にあり、結婚の約束さえ交わした間柄であった(すぐれてメロドラマ的な、美男美女の“過去”をめぐる設定)。
その事実を知った富子と信子の心が波立つさまを、成瀬は独特の抒情的でデリケートな演出によって――濃(こま)やかな自然描写とともに――描き出してゆく……。
まず感心させられるのは、信子が些細な出来事/小さなドラマによって、父と富子の母の過去を知るという展開の妙だ。――信子の成績が下がり、富子の成績が上がり一番になるが、通信簿を見てショックを受けた信子の母は、銀行重役の夫・敬吉/高田稔のところに訴えに行ったあと、学校にまで押しかけ、担任の教師に会い、成績一番の生徒が蔦子/入江の娘・富子だと知り、心が揺れる(夫も教師も、信子の母の訴えに過剰反応することなく、ほとんど無頓着に対応するところなど、さりげないが実に巧みな演出)。
その夜、信子は就寝間際、自分の成績をめぐる両親の口論から、自分の父と富子の母の過去/秘密を知る(そのシーンでは、手前の部屋の寝床から、信子が奥の居間で言葉を交わす両親をレースのカーテンごしに見やる、という縦の構図を活用した視線演出も秀逸)。
翌日、信子は学校で富子にそのことを話す。富子はすべてを理解したわけではなかったが、その日から母・蔦子をそれまでとは違った目で見るようになる。
夏休みに川で足に怪我をした信子は、富子・蔦子の母娘の手当てを受ける。そこに駆けつけた信子の父・敬吉と蔦子は再会するが、2人は控えめに挨拶をしただけで別れる(このあたりの繊細なメロドラマ描写も出色)。敬吉は娘を介抱してくれた礼にと、フランス人形を富子のもとに届けるが、信子の母は夫と蔦子の仲を勘ぐる。事の微妙さを察した富子は、人形を信子の家にひそかに返しに行く……。
ともあれ、そうした小波乱は起こるものの、やがて信子の母は夫と和解に至る。そして、召集令状を受けた信子の父が、中国戦線に向けて出征する場面で映画は終わる(こうしたケレン味のない筋の運びから、成瀬が名脚本家でもあったことが知れる)――。
このように、背景に戦争を見え隠れさせながらも、『まごころ』の成瀬は、あくまで<小さなドラマ>を積み重ねて物語を紡いでゆく。つまり成瀬は、前述のように戦時体制下の映画法と妥協しつつも、日常的な<小さなドラマ>の連続に焦点を当てれば、自らの得意とするメロドラマを撮れることを心得ていたのだ。賢明な戦略である(ちなみに今日、イスラム法によって接吻や抱擁のシーンのある恋愛映画が禁じられているイランでは、「子ども映画」は映画作家にとって恰好の“逃げ場”となっている)。
こうした成瀬の作家的戦略は、戦後においても形を変えて引き継がれることになる。つまり戦後の成瀬は、会社のお仕着せ企画を引き受けつつ、それを自分流の――「成瀬巳喜男」の署名が刻印された――映画に仕上げてしまう名手となったのだ。
では『まごころ』において、戦争はどのように描かれるのか。
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