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心が重くなる認知症の行方不明。むりやり残虐なことを想像したりはするけれど……

青木るえか エッセイスト

 最近いちばん胸が痛くなり心が重くなったニュースは、東京の60代女性が認知症で行方不明になっていたのが7年後群馬県館林市で発見されたというアレ。

 これ、いくつもの

 「心が重くなるポイント」

 があって、

・認知症の家族がいて気持ちが暗い日常。
・その家族が行方不明になって大騒ぎ。警察に届けたり行方不明の貼り紙つくったりする面倒。
・いろいろ疲れる。
・親戚や近所から心配されたりヒソヒソされたりする苦痛。
・3年もたてば「もうどっかで死んでるだろう、一人で可哀相に」と悲しくなる。
・でもすっかり諦めの気持ちになって、時たまスッキリする。
・でも世間向けにはずっと心配し続けるフリしないといけない面倒。
・そんな生活にも慣れてきたところで発見! 生きててよかったー、と思うのと同量、あるいはもっと大量の「どこかでひっそり死んでてくれればよかったのに……」という思いがよぎる。
・そんなこと思っちゃった自分を責める。
・とにもかくにも館林の施設から引き取る算段をする面倒。
・親戚も近所も忘れてたのにこれでまたいろいろ言ってきて面倒。
・死んでてくれればよかったのに、とことある毎に思い、次の瞬間自分を責める。

 と、ただちにこういう想像ができてしまった。

 私の希望の一つに、「老親は、知らないうちに死んでいて気づかない(事件性はなく、死体や死後の処理は完了されている)」というものがあり、認知症の徘徊でそのまま山にでも消えてくれればいいじゃないか、と思っていたことがあるが、よくよく考えればそんなわけにはいかないのだ。人ひとりいなくなられたら大騒ぎになる。

 さて、このニュースの続報があって、「身元不明のまま民間介護施設に入所していた」その期間の施設料金を家族に請求、それが1千万円以上になる、という。

 ここでご家族は「……不明になって早々に死んでくれていれば」と思ったのではないか。私は思う。私はそういうことを思うことに罪悪感を感じないようにしている。なぜなら、

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