2014年05月26日
NHKスペシャル「”認知症800万人”時代 行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~」を再放送で見た。
初回放送の翌日、番組中で身元不明とされた女性が7年ぶりに夫と再会できた、そんな情報が番組終了後に流れる。そういう再放送だった。再会できたとはいえ、その女性は7年のあいだに寝たきりになっていた。保護された当時の明るい表情は、すっかり消えてしまっていた。
他メディアもこの「再会劇」をこぞって取り上げた。女性が保護された時に名乗ったのは娘さんの名前だったと、私はフジテレビの「とくダネ!」で知った。
徘徊の末、行方不明になった認知症やその疑いのある人が、おととし1年間で9607人。NHKが全国の警察本部に調査をし、積み上げた数字だから、役所発表とは迫力が違う。2010年に同じくNHKスペシャルが報じた「無縁社会 無縁死3万2000人の衝撃」と同じで、誰もが「問題を突きつけられた」と感じるだろう。
だけど、私には無縁社会のときより、ずっとやるせなさというか、つらさというか、悲しさというか、そういうものが強く残った。もちろん無縁社会も苦しいが、あの頃はたとえば独身女子や子なし女子が集まっての飲み会で、「私、無縁死間違いないから」などと冗談を言う空気が少なくとも私の周りにはあった。「無縁死、上等」「森茉莉だって、無縁死だったぞ」などという会話を交わした記憶がある。
今度は、そうはいかないのだ。「認知症」という存在が、笑わせてくれない。
認知症はモンスターだと思う。誰にでもすきあらば襲ってきて、襲われたら逃れられない。襲われる人と襲われない人の境目が、いろいろ研究されているとはいえ、実感としては運、不運のように感じられる。
「糖尿病は認知症のリスク因子です」とは最近よく聞くが、糖尿病でもしっかりしたまま亡くなる人もいるし、お酒も飲まず痩せていて、糖尿病とは無縁な暮らしをしているのに、認知症になってしまう人もいる。「まあ今のところ、親世代の問題だし、うちは今のところ何とかなってるし」と思おうとしても、若年性認知症などというものが「他人事じゃないぞ」と迫ってくる。
警察同士の連携の必要、行政としての仕組みづくり、地域での見守り……番組が提案していた「行方不明者を減らす施策」はもちろん必要だ。行方不明が死につながり、踏み切りで認知症の人が亡くなると、鉄道会社から家族に賠償金の請求がいく時代なのだ。だが、それらの対策を打ったところで、認知症というモンスターからは逃れられない。それが、女子会で笑い飛ばす空気を起こさせない。
番組の中に出てきた名前不明の「太郎さん」。スペシャルの放送前に、NHKが午後7時のニュースでとりあげたところ、家族が名乗りでた。その対面の様子がスペシャルで流れたが、家族は引き取ったのではなさそうだ。無理もない。引き取れなどというつもりは毛頭ない。
太郎さん、体は元気そうに見えた。施設の食堂から自分の部屋に戻ろうとして、間違えることがよくあるという。職員が「違う違う」と追いかけるシーンがあった。太郎さんが「違うか」と照れたように言った。その明るさが救いだった。
でも、悲しかった。間違って、うれしいはずがない。徐々に間違うことが増えること、当事者が気づかないはずがないだろう。太郎さんの笑いに、当事者のつらさがにじんでいた。
認知症は、つくづくモンスターだ。
私は、50歳以上をターゲットにした女性月刊誌の編集長をしている。認知症だけは避けたい。読者のそういう思いはとても強いから、「脳活特集」は鉄板企画だ。もちろん寝たきりも避けたいが、認知症を避けたい思いのほうが、より深刻に感じる。
寝たきりにならないためには、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください