2014年05月28日
活動歴の長いCHAGE&ASKAが、時代の寵児のようになっていったのは、1990年代のことだった。テレビをまったく見ないのでよく知らないんだが、ドラマの主題歌のタイアップで、ヒットを連発していた。それまでは、意外にも苦闘というか、模索の時期が長かった。
その後、光GENJIに楽曲提供をするようになって、「歌謡曲システム」の中での作家のあり方に、ASKAは一挙に目覚めたんじゃないか。
タレントの立ち位置を、客観的に見る。冷厳にとらえる。
そうして、そのタレントの「売り」「輝き」を剔出する。自分自身、ASKAというミュージシャンの「売り」も、実はそのとき、はっきり気づいたんじゃなかろうか。
CHAGE&ASKAの「売り」とはなにか。それは、ASKAだから許される「過剰感」とでもいうべきものだ。
たとえば、の話。「この愛のために」や「ロケットの樹の下で」の、必要以上にこぶしをきかせまくる不思議な歌唱は、いったい何だったんだ?
「このぅワイのために」「ぅオマエしかいな~い」「旅のドゥォオコカだぁ」という、日本語の破壊活動は、ASKAだから許される。
すっきりときれいな顔立ちで、透明な声質のASKA以外が歌ったら、勘弁してほしい熱量。カロリー過多で体を悪くする。
こういうてんこ盛り、「フォークロック演歌歌謡」とでもいうべき過剰感は、ASKAの専売特許だった。
「なぜに君は帰らない」って、イントロはクイーンでしょ? ギターの音色もブライアン・メイの例のギター・オーケストレーションを意識しているはず。
パクリだとか、ほほえましいとか言いたいのではない。日本人好みだった、なんでもあり、装飾過多、過剰な行き過ぎロックを、研究し倒し、換骨奪胎している。うまいなあ、と思った。
出世作になった「SAY YES」なんか、いま聴くと、ちょっとストーカー入ってる。
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