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ジャ・ジャンクー『罪の手ざわり』をお見逃しなく!(中)――衝撃的かつ簡潔な暴力描写

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『罪の手ざわり』の暴力描写は、まったくもって苛烈である。

 前述のように、主人公らが殺人や自殺にいたる動機は、細心かつ周到に描かれる。だが、彼、彼女らが暴力に訴えるまでのプロセスは、これみよがしの心理説明としては描かれない。ここが本作の暴力シーンの肝のひとつだ。

 たとえば山西省の炭鉱夫・ダーハイをめぐるシークエンス。――ダーハイが、自家用飛行機さえ所有する実業家の同級生、ハンサムなジャオによって炭鉱の利益が独占され、彼のグループの化学工場が環境汚染をもたらし、村長と会計係はその口止めに賄賂を受け取っているのではないか、と疑い、怒りをつのらせていく……という場面の連鎖においても、ダーハイ/チャン・ウーは、微妙なニュアンスで――ときに強いアクセントで――怒りを見せるが、それをジャ・ジャンクーは外側から見つめるように、つまり彼の心の内側/内面に入り過ぎないように撮っている。

 むろん、眼光鋭くごつい強面(こわもて)のダーハイ/チャン・ウーの顔は、あえて表情を作らなくても十分に不穏な印象を放つが、彼が過剰な心理的演技をしないことで、彼の、いわば物/マテリアルとして顔貌は、いっそうハードボイルドな凄みを漂わせる。

 さらにダーハイが、空港でジャオの部下にスコップで頭を殴打されるシーンでも、カメラの巧みな寄り・引きによって、非情とさえ言える“即物的”な演出が貫かれる。また彼の入院先の病院にジャオの部下が、ビジネスライクな態度で見舞金代わりの札束を置いて去って行き、彼が目に涙をにじませるところでも、チャン・ウーの演技は、ダーハイの感情を過剰に外に表す芝居とは似て非なる抑制されたもので、それによってかえって、この炭鉱夫の限界に達した屈辱感は強烈に伝わってくる。

 そしてダーハイは、虎の絵が描かれた布を巻きつけた猟銃を持ち出し、会計係のリュウと彼の妻を射殺し、役所に向かい、受付係と村長を撃ち殺し、馬を鞭打っている見知らぬ男を射殺し、さらに工場へ出向き、ジャオを彼の愛車の中で射殺する(返り血を浴びたダーハイはにんまりとする。実にいい笑顔だ)……。

 それにしても、義賊ダーハイは、いずれもたった1発の銃弾で標的を仕留めるが、われわれは彼の“決起”を目の当たりにして、心の中で快哉を叫ぶ。

 殺人は悪だとわかっていても、彼の凶行にいたる動機づけが周到に描かれるゆえに、である。またこの一連の殺人シーンでは、ああここでダーハイが引き金を引くぞ、とわれわれが思う瞬間よりわずかに早く、あるいは遅く彼が銃撃するタイミングも絶妙で、予測していたのにわれわれは不意を突かれてしまう。

 さらに、リュウの妻が被弾した衝撃で窓ガラスを突き破って数メートルふっ飛び――その瞬間カットが割られ――路上に勢いよく投げ出されるところは、鳥肌が立つほどショッキング。また村長射殺の場面では、ダーハイは画面の外にフレームアウトする。すなわち村長はオフスペース/画面外から、ダーハイの放つ銃弾を喰らうわけだ。

 ジャオが車の中で殺される瞬間はといえば、外側から写された鈍く暗色に光る車のボディの映像――車内は見えない――に銃声をかぶせ、弾丸が窓を突き破りジャオの血が窓外に飛び散るという、北野武映画を連想させる間接描写が冴えわたる。たんに過激というだけでなく、それぞれ異なる工夫が凝らされた、すこぶる芸の細かい殺人描写だ。

 家族には出稼ぎと偽って強盗を繰り返す重慶の男、チョウ/ワン・バオチャンが、街中で富裕そうな夫婦をこれまた一発必中のガンさばきで射殺し、現金を奪って逃走する場面も、そのあっけないほどのスピード感が衝撃的だ(そこでも被弾した犠牲者が、一瞬びくっと動きを止めるや、ばたりと路面に叩きつけられるように倒れ込む、その倒れ方のタイミングが超絶で、スカッとする。要するに本作では、撃たれた人物が<即死>する点が簡潔なショックを生むのだ。ちなみに、経済格差が広がり、ブラック企業の横暴が社会問題化し、大学が就職斡旋所と化し、長時間労働で心身を壊す人が増加する日本でも、こういう事件は今後多発するかもしれない)。

 中背のチョウ/ワン・バオチャンは、長身で屈強そうなダーハイ/チャン・ウーよりも、さらに口数が少なく無表情で、彼の犯行の直接動機は描かれないが、藤井省三もパンフレットで言うように、「その孤独な姿からは不条理な現実に対する確固たる反逆の意志が窺え」る。なお、娯楽映画で活躍中のチャン・ウーやワン・バオチャンがジャ・ジャンクー作品に出演したことは、中国映画界にとって大きな驚きであったという。

 風俗サウナでシャオユー/チャオ・タオが、客に迫られ、札びらで顔を何度もはたかれた末、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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