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ジャ・ジャンクー『罪の手ざわり』をお見逃しなく!(下)――伝統的な文学・芸能への参照、シュールな奇想と「ネオレアリズモ」的要素の融合など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は(上)(中)で触れえなかった、『罪の手ざわり』の作劇上のポイントを箇条書きにしてみたい。

*前述のごとく、本作は実在の事件から着想されただけでなく、中国の伝統的な文学や芸能を参照にしてもいる。たとえば、退院したダーハイが広場に向かうと、そこでは古典演劇「林冲夜奔」が演じられていて、「水滸伝」の主人公の一人、林冲(りんちゅう)の「憤怒により、剣を抜き……」というセリフが、彼の“決起”をうながすかのように鋭く響く。見事な音響演出だ。

 またシャオユー/チャオ・タオの殺人場面は、北京出身で香港、台湾で活躍したキン・フー監督の武侠映画、『侠女』を意識して撮られたという(もっともキン・フー映画からの着想は、あくまで悪に立ち向かう武侠的ヒロイン像に関してであり、キン・フー作品の主人公らが披露するトランポリンを駆使しての、あの目くるめく超人的なジャンプなどの活劇性と本作のそれとは、やや異なる)。

 さらにラスト、街をさまよい歩くシャオユーは、広場で演じられている古典劇「玉堂春」――殺人の濡れ衣を着せられるが、最後には冤罪を晴らすヒロインの物語――に立ち会う。その劇では裁判官が、劇中のヒロインに、そしてシャオユーと群衆に向かって、問いかけるように「おまえは自分の罪を認めるか?」というセリフを発する。これまた劇中劇として二重化された、鮮やかな音声演出である。

*それぞれの物語を連作形式でつないでいく、いわばリレーのバトンのような役割を果たす人物も、バイク、船、夜行バス、白タク(不法営業のタクシー)、高鉄(高速鉄道、中国の新幹線)などの乗り物同様、本作の<運動>をスムーズにするうえで不可欠な存在である。

――ダーハイの仕事仲間のサンミン/ハン・サンミンが妻の待つ奉節(フォンジェ)へ帰るべく、三峡ダムを渡る重慶行きの船に乗ると、船内で隣り合わせたのは、3人の賊を射殺したチョウだった(チョウを主人公とする2つ目の物語の開始)。

 3つ目のシャオユーの物語の序盤で、彼女の乗った夜行バスを途中下車したのは、やはり、富裕そうな夫婦を撃ち殺して逃走中のチョウである。4つ目のシャオホイの物語の序盤で、彼に訓戒を垂れているのはシャオユーの愛人ヨウリャン/チャン・ジャイーだ。

 そしてラスト、無罪放免された(?)シャオユーが面接に行く会社の女社長は、なんと

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