2014年07月04日
鈴木邦男は、自らも右翼活動家であった若かりし日々に土方歳三に魅了されていたことを「自己批判」し、小説や映画に描かれた〈歴史〉や人物像は実際の歴史からは大きくかけ離れている、だから、決して『歴史に学ぶな』(dZERO、2014年5月)と言う。
鈴木が、つくられた〈歴史〉に学ぶな、むしろ体験に学べ、と訴える第一は、戦争である。映画やドラマに仕立て上げられた〈戦争〉ではなく、”ひたすら暗く、残酷で救いがない”実際の戦争を、そこに居合わせた人々から学べ、と。
戦争のリアルを、少し違った角度から教えてくれるのが、『戦争と性』(明月堂書店、高山洋吉=訳、2014年6月刊)である。この本は、1956年に翻訳刊行された河出書房『世界性学全集第1巻 戦争と性』の復刻版であり、ベルリン性科学研究所主宰のマグヌス・ヒルシュフェルト博士の手になる原著は、ナチスが政権を握る直前の1930年に刊行されている。直近の戦争は、人類が初めて国家総動員体制下で戦った第一次世界大戦である。
戦争が始まると男たちは戦場へと駆り出される。愛する伴侶の無事を祈っていた女たちは、男たちの不在の長期化につれて、性欲を持て余すようになってくる。
そのことを責めるわけにはいかない。性欲は食欲と共に人間の二大本能であり、種族保存のための欲望であるからである。性欲なくして、人類は今地球上には存在しないだろう。
男日照りが続くと、例えば捕虜を相手の性愛が流れ出す。あるいは、傷病兵への情愛が深まってくる。看護婦たちの献身的な仕事も、単なる美談では済まなくなる。
一方、自分たちが祖国のために命を賭けている間の妻の不義にカンカンになる資格は、戦場の男たちにも、おそらく無い。平時のモラルをかなぐりすて、新しい戦争のモラルに盲従するのが戦場の兵の義務であり、性もまたその例外ではありえないからだ。
近代の戦争で、長期にわたって比較的に大きな単位の部隊を戦線のある局面または兵站地域に釘付けにした陣地戦は、定着的な形の売淫を必要とした。
そうした娼家に集まってきた娼婦は、以前からそれを職業にしていた者もいたが、多くは非占領地の慢性的な窮乏に追いやられてその身体を売った女たちであり、その数はどんどん増加していく。仕事はつらく、性病に脅かされて多くは短期間しか続かない娼婦は、慢性的な供給不足の状態にあったからだ。
一方、こうした娼家における監督された売淫のみが、かろうじて性病とそのために引き起こされる戦力の麻痺への対抗策であったが、戦場や兵坦地域において、それは充分に機能し得なかった。
平時のモラルを失った兵士たちを、性病は容赦なく襲い、余りに罰則が厳しいとそれは隠され、罰則が緩いと性病を回避するモチベーションが下がるため、娼家の売淫へも侵入し蔓延していく。逆に進んで性病に罹ろうとする兵たちも出てくる
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