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スイスの異能、ダニエル・シュミット監督特集が東京・渋谷で開催!(4)――“ファム・ファタール映画”の傑作、『ヘカテ』の魔力(続)

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は前回触れえなかった、『ヘカテ』の注目すべきディテールのいくつかを、箇条書きにしてみたい。

*『ヘカテ』における最大の見せ場のひとつは、夜のバルコニーで演じられる、ジュリアンとクロチルドのセックス・シーンだろう。

 乳白色に輝くシルクのドレスを着たまま、クロチルドはジュリアンに背をもたせて、彼のゆるやかな愛撫を受ける。やがてドレスがずり落ち、クロチルド/ローレン・ハットンの右側の小ぶりな乳房があらわになる。ジュリアンはその姿勢のまま、クロチルドの秘部をまさぐり、交接にいたる。そしてゆっくりと体を動かすジュリアンとクロチルドを、名カメラマン、レナート・ベルタの描き出す軟調の光と影と色彩が美しく綾取り、あたりにクロチルドのかすかな喘ぎが断続的に響く……。

 息をのむほど官能的なこの濡れ場は、女が男に背をもたせる、つまり男が女を背後から抱きすくめる、という姿勢においてハリウッドの古典的メロドラマ――たとえばヘンリー・キング『慕情』、ウィリアム・ディターレ『旅愁』など――の男女のポーズを連想させる。だが、ローレン・ハットンの乳房が露出し、さらに後背位で彼女がベルナール・ジロドーと情交する、という性描写の点では、れっきとした<現代映画>的場面である。

 なお、『ラ・パロマ』の山上におけるオペラのニ重唱の場面でも、イングリット・カーフェンはペーター・カーンに背をもたせたが、あのキッチュ化されたシーンに比べて、『ヘカテ』のこのバルコニーでの情交場面は、ずっと「本当らしく」リアルである(ただし、現実であれをやるのはかなり困難だろうが)。

*くだんの濡れ場に先立つ、二人の出会いの瞬間の卓抜な視線演出にも、古典的メロドラマへのシュミットの強い愛着が見てとれる。そこでは、二人の視線の交わりが、互いの顔のクローズ・アップで交互に――文字どおり古典的に――示されるのだ。

*クロチルド/ローレン・ハットンを典型的な、ほとんどステレオタイプな――しかし極めて魅力的な――“謎の女”/ファム・ファタールたらしめているのは、そのスレンダーな肉体とユニークな美貌とともに、彼女の発する練られたセリフだ。それらを紋切型のセリフと見るか、ひねりの利いたセリフと見るかは、じつに微妙であるが……。

 たとえば、「何を考えている?」というジュリアンの問いに、クロチルドが「何も」と答えるところが、二度くり返される。これはむろん、秘密を隠し持った「謎の女」として彼女を造形するための、簡潔で効果的なセリフだ。と同時に、このセリフをクロチルド/ハットンに言わせることで、シュミットは彼女を、何を考えているのかわからない、あるいは文字どおり何も考えていない、非心理主義的な存在として登場させたのではないか――。

 つまり、やや深読みすれば、このクロチルド/ハットンの言葉は、シュミット作品を貫く、非心理主義的な演技設計――顔の大芝居で喜怒哀楽を表す演技とは真逆の――をめぐる映画的マニフェストとさえ、読めるのではないか。

 もうひとつ、ジュリアンの愛の告白をはぐらかすような、クロチルドの名セリフがある

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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