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[書評]『ひみつの王国――評伝 石井桃子』

尾崎真理子 著

野上 暁 評論家・児童文学者

「花子とアン」をしのぐ、エキサイティングな労作  

 石井桃子は、NHKテレビの「花子とアン」の村岡花子よりも14歳年下で、同じように子どもの本の翻訳をし、「ノンちゃん雲にのる」などの童話を書き、6年前、101歳で亡くなった。本書は、その生涯を克明に検証した、初めての評伝である。

 村岡花子は、キリスト教の信仰に篤かった父親が、彼女の才覚を見込んで給費生として東洋英和女学校に編入させ、10代の大半を寄宿舎で過ごし、抜群の英語力を身につけた。石井は、埼玉県の浦和高等女学校から日本女子大に進み、そこで英語を学んだ。

『ひみつの王国 評伝石井桃子』(尾崎真理子 著、発行:新潮社) 定価:本体2700円+税『ひみつの王国――評伝 石井桃子』(尾崎真理子 著、新潮社) 定価:本体2700円+税

 「花子とアン」では、村岡花子と腹心の友・柳沢白蓮との友愛が、視聴者を惹きつける重要な要素となっているが、石井が大学卒業後に勤めた文藝春秋社で出会う小里文子との奇妙な交流は、「ひみつの王国」の深層に色濃く投影され、それがこの評伝を貫く大きな魅力ともなっている。

 石井は、日本女子大英文学部在学中から、友人の紹介で菊池寛のもとで外国の雑誌や小説を読んで、そのあらすじをまとめるアルバイトをしていた。その延長で大学卒業後も、菊池が口述筆記や翻訳などで女性に働く機会をつくるために設立した「文筆婦人会」で仕事をし、同会解散後に文藝春秋社に正式入社する。

 草創期の文藝春秋社は多士済々で、菊池の個性もあってなかなかユニークで面白い。フェミニスト菊池は、有名女子大や津田英学塾を出た才媛を集め、芥川龍之介との共同編集による「小学生全集」全88巻を刊行する。芥川は、刊行前に自死するが、円本時代のこの全集は、北原白秋の弟が起こしたアルス社の「日本児童文庫」と激しい販売合戦を強いられ、菊池は思わぬ苦戦をする。

 石井の評伝でありながら、後に石井が勤める岩波書店や新潮社での仕事に絡む昭和出版史に関わる記述は、その裏面史的な一面もあって興味深い。また、そこでのさまざまな作家との交流も、眩いばかりだ。

石井桃子=1983年石井桃子=1983年
 同時期、犬養毅の書庫の整理をきっかけに、5・15事件で犬養が暗殺された後も家族との親密な付き合いが続き、犬養邸で西園寺公一が持ってきた英語版の『プー横丁にたった家』との出会いが、後の翻訳者への道につながる。著名な文壇人や時の首相一族との交流などが大きな自信になって、石井のその後を支えたことはまちがいない。しかしそれが、戦時体制下に果たした危うい仕事にもつながっていく。

 文春で出会い、33歳の若さで早世した小里文子とは、彼女が亡くなるまで濃密な付き合いを続けていて、石井が87歳のときに刊行した『幻の紅い実』に、自由奔放でありながら処女を装っていた蕗子として描かれる。

 彼女は、横光利一と同棲し、彼と別れた後に、菊池がその才能を買った池谷信三郎と付き合い、二人の小説にモデルとしても登場している。そして石井は、小里文子が横光利一か菊池寛と思しき男の子どもを身ごもって堕胎していたことを聞いて衝撃を受けた、というスキャンダラスな事実も記している。

 戦中の石井の振る舞いについては、これまであまり明らかにされていなかったが、聖戦遂行をバックアップした大政翼賛会に関わり、少国民文化協会の設立に並々ならぬ活躍をした事実も紹介する。

 戦後公職追放を受けた戦犯で、戦時中の労働科学研究所長であり大政翼賛会国民運動局長だった輝峻義等の秘書を務めたり、雑誌『少国民文化』に飛行機献納掲示童話「菊の花」を執筆していたことなども、詳らかにされる。戦後もしばらくは疎開先で農業に従事し、岩波書店から再三復職を呼びかけられながら、現地にとどまった石井を、その罪障感や自責の念からではないかと著者は記している。

 井伏鱒二との交遊も興味深いものがある。井伏の紹介で太宰治とも度々出会い、太宰が石井に好意を持っていたことを、太宰の心中死の後に井伏から聞く。それに対して石井は、「でも、あたしだったら、太宰さんを死なせなかったでせうよ」と切り返したと、井伏は記している。この冷徹さも、石井の生涯にわたっての外部に対するスタンスを象徴的に物語っているようだ。

 戦後の農場経営が資金繰りでピンチになったとき、光文社を起こした神吉晴夫に『ノンちゃん雲に乗る』の版権を売って金を得たという、プラグマティックな一面も紹介される。『ノンちゃん雲に乗る』は、光文社から刊行されることによって大ベストセラーになるのだ。

 著者の石井桃子への思い入れの強さからなのだろう。戦時下の児童図書規制を企図し、良書普及と赤本撲滅を表看板にして、言論弾圧に力のあった佐伯郁郎主導の「児童図書改善ニ関スル指示要綱」や、与田準一の戦中詩などの評価はいささか甘いし、戦後、石井も関わった『子どもと文学』の評価も一面的だ。

 GHQの意向に沿って創刊された「赤とんぼ」や「銀河」や「少年少女」などのいわゆる良心的な雑誌が、「講談社や小学館などの大手出版社が娯楽性に富む児童雑誌を相次いで創刊すると、たちまち休刊を余儀なくされる」という記述は明らかに間違いだ。

 講談社が戦後娯楽的な子ども雑誌を創刊するのは「ぼくら」と「なかよし」で、1954年12月になってからである。小学館がその時代に創刊したのは「中学生の友」と「女学生の友」くらいで、「週刊少年サンデー」を創刊するのは1959年である。

 良心的などといわれた雑誌群が休刊を余儀なくされたのは、その子ども離れした文壇的な権威主義が、子ども読者に受け入れられなかったのと、「少年」(光文社)や「少年画報」(後の少年画報社)や「おもしろブック」(集英社)など、漫画や絵物語を中心に据えた創刊誌に押し出されたからなのだ。そのあたりの曖昧さが、著者の児童文学観を象徴しているようにも見えるが、それらを割り引いても、大変な労作であり貴重な一冊であることに変わりはない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。