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[書評]『人類が永遠に続くのではないとしたら』

加藤典洋 著

木村剛久 著述家・翻訳家

有限性の時代と新たなビオ・システム  

 「3・11の原発事故は、私の中の何かを変えた」と著者はいう。

 福島第一の事故が発生した当初、著者は国や電力会社の無責任ぶりに怒りを感じていた。しかし、時がすぎるにつれて、どうもそれだけではすまないと思うようになった。だれも責任をとらない法外の領域が生じている。ひょっとしたら、われわれが信頼をおいている産業社会そのものが、おかしなことになっているのではないか。そういう疑問がわいてきたというのだ。

『人類が永遠に続くのではないとしたら』(加藤典洋 著、新潮社) 定価:本体2300円+税拡大『人類が永遠に続くのではないとしたら』(加藤典洋 著、新潮社) 定価:本体2300円+税

 原発事故はあらためて地球の有限性を浮き彫りにした。石炭のあとは石油、石油のあとはウランと、地球の資源を次から次へと掘りつくしてきた人間の欲望と英知が、手痛いしっぺ返しを受けた。その面で、今回の事故は「地球の有限性」からの人類への警告だったといえる。

 しかし、そうした危機感はあっという間に忘れ去られ、次はシェールガスだ、メタンハイドレートだと、またも新しい資源獲得競争がはじまっている。人びとは、技術の発展によって自然の限界は乗り越えられ、物質的成長ははてしなくつづくと信じているようにみえる。それは近代の幻想にほかならないと著者は断言する。

 原発技術はそもそも大きな問題をかかえていた。いまのところ核廃棄物を処理する技術はないということ、そして、事故が起きた場合、そのリスクは深刻なものになるということだ。

 今回の原発事故はまさしくそうした懸念をあらわにした。それが「限界を超えた産業事故」になったのを目の当たりにして、著者は「地球の有限性」に加えて、「産業資本システムの有限性」を感じないわけにはいかなかったと述べている。

 すこし考えすぎのようにみえるかもしれない。しかし、ちょっとふり返るだけでも、近代の科学技術と産業社会が、人びとに豊かさをもたらすいっぽうで、地球の環境汚染と資源枯渇を招いてきたことは否定できないだろう。

 原発事故を引き寄せたのが、単なる自然災害ではなく、近代であり、また人間であるとしたら、われわれはどう考えればいいのか。著者の問いは、そちらのほうへ向かっていく。

 ウルリヒ・ベックは、産業は富と同時に、それを上回る勢いでリスクを生みだすと指摘した。産業が発展すれば発展するほど、社会は「リスク社会」になっていくというのだ。

 ベックはそのリスクをいかにして制御していくかを論じたが、著者は今回の原発事故が、取り返しがつかない産業事故となったのをみて、「有限性の近代」への思いを深くしたという。産業リスクを増大させる近代を拡張していくという方向は、自由の実現と欲求の充足をめざす人間の生き方と、もはやそぐわないのではないか。

 ここで、著者は地球のエコ・システム(生態系)になぞらえて、人間活動の全体をかたちづくるビオ・システム(生体系)という概念をもちだす。人はエコ・システムの一部であると同時に、この地球内にみずからが生きていくビオ・システムをつくりあげた。そして、ほんらいなら破綻してもおかしくなかった近代の資本制経済は、内部に需要をフィードバックする機能をつくることによって、ひとつのビオ・システムとして安定してきた。

 資本制経済は技術革新と新商品の開発がなければ存続できないシステムだといえる。だが、自然(資源)も人間も有限であって、技術革新と新商品の開発もおのずと限度にぶつかる。加えて、産業技術と施設の大規模化、高度化、高速化によって、産業事故のリスクも増えてくる。にもかかわらず資本制システムはそれを無理やり突破しようとすることから、オーバーシュート(限界超過生存)状態におちいりつつある、と著者はいう。

 大転換がはじまっている。近代をこのまま延長していくには無理がある。産業も人間も変わらなければならない。新たなビオ・システムに向けての構想力をもたねばならない。

 著者は、地球人口の増加率が1970年代ごろから減少に転じたことを、近代への一種のフィードバックととらえている。また、技術革新のあり方が小資源、小廃棄の方向に変わってきたことにも注目する。秘密主義、権威主義の巨大技術の象徴だった原発技術などとちがって、パソコンの開発にみられる「若い起業家たちの非エスタブリッシュな、自由で新しいセンス」を、新しい技術の流れとして評価する。

 かつての消費主義の勢いは衰え、現在進んでいるのは国家主義のもとでのビオ・システムの管理である。しかし、国家の策と力だけで、何を突破しようというのだろう。対抗理念たる社会主義の偶像は、すでに崩れ去って久しい。

 著者はつくられた欲望、巨大企業の力能、国家の要請から距離をおく自立的な姿勢に、「有限性の時代」を生きる隠れた知恵をみる。吉本隆明のいう「アフリカ的段階」や三木成夫のいう身体内臓系の宇宙感覚にも着目し、「ひとつの生物種」としてのわれわれが、個々の根源と足元をしっかりみつめながら、新たなビオ・システムへの構想力をもつべきだと主張する。

 かくて問いは元に戻る。もし人類が永遠に続くのではないとしたら、われわれはどう生き、どんな価値観をつくっていけばよいのか。本書を読みながら、あれこれと人類の変身ぶりを想像してみるのは、とても楽しいことだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

木村剛久

木村剛久(きむら・ごうきゅう) 著述家・翻訳家

共同通信社で長く書籍を編集し、『妻たちの思秋期』(斎藤茂男)、『もの食う人びと』(辺見庸)のほか、『マクナマラ回顧録―ベトナムの悲劇と教訓―』(R・マクナマラ)、『現代史』上・下(ポール・ジョンソン)などを手がける。自身の訳書・共訳書に『国民の天皇』『紀元二千六百年』(共にケネス・ルオフ)など、著書に『蟠桃の夢―天下は天下の天下なり―』(トランスビュー)がある。