2014年08月06日
今回は『トスカの接吻』における印象深いディテールのいくつかを、具体的に見ていこう。
*<ヴェルディの家>で、往年のオペラ人たちが脚光を浴びた大劇場の、いわばミニチュア版として活用されるのが<階段ホール>である。前半のその空間を舞台にした場面で、ヘルパーの女性が、「では、サラ・スクデーリさんをご紹介します。(……)どうぞこちらへ」と言うと、カメラが後退し、杖に頼ったスクデーリがそろそろとヘルパーと守衛の間に立つ。
ここで面白いのは、ヘルパーの女性が、スクデーリの世話をしているうちに自分も歌うようになり、スクデーリと一緒に歌うこともある、と語るところだ。そしてその直後、オフ/画面外から監督のシュミットが、「どんな歌を歌うのです?」と小声で尋ねるが、そこでのシュミットはあくまで控えめに、画面外の聞き役に徹している。
もちろん、そうすることで映画をコントロールしてもいるのだが、『フタバから遠く離れて』の舩橋惇同様、ドキュメンタリストとしての賢明な立ち位置である(『フタバ~』については、2012/10/26、同11/01、同11/06の本欄「フクシマ双葉町の避難民を記録した傑作ドキュメンタリー、『フタバから遠く離れて』」参照)。
*名オペラ歌手だった、1910年生まれのジュリエッタ・シミオナート(メゾ・ソプラノ)が、引退当時の自分の心境を振り返るシーンもいい。
彼女は張りのある声で、潔くこう語る――「ノスタルジーも悔いもないわ。私が授かったものは出し尽くしたと思うから。舞台ですべてを出し切った。だから心穏やかよ。ある時点で人生がもう降りるよう求めたの。まだ花のうち、何ひとつ問題ないうちに。人々の記憶にはそんな私が残る。人々に褒(ほ)めたたえられ、故障もなく妥協もしない私よ。私はまだ完ぺきだったと覚えていてほしい。大衆が歌手を見捨てるのではなく、その逆でありたいの」。
誇らしげに、しかし功なり名を遂げた者の過剰なナルシシズムはみじんも感じさせずに、彼女はきっぱりと言い切るのだ(シミオナートは、本作撮影当時、<ヴェルディの家>友の会会長)。
*超一流の音楽教授にして指揮者、作曲家でもあったジョヴァンニ・プリゲドゥが、自分の即興演奏の才について語る場面でも、やはり潔い自己肯定感に満ちたその言葉が痛快ですらある。
右にピアノ、正面にオルガンを置いて座ったプリゲドゥはこう言う――「あらゆるメロディが頭の中に浮かんでくる。即興でね。(……)私には夥しい作品がある。すべて即興演奏で録音した。(……)これは、神が下さった才能だよ。勉強は一生懸命した。(……)だが即興の才能は、神に感謝すべき賜物だ。並の才能ではないからね」。そう言ったあと、プリゲドゥ翁はオルガンで旋律を、ピアノで伴奏をし始める(かつての指揮者らしく、彼は映画内でも各人のまとめ役を担当している)。
*撮影当時90歳だった合唱団員のイーダ・ビーダも、自分のパートに強い誇りを持っている女性で、オペラにおける合唱の重要性を、画面外のシュミットに向かってこう語る――「オペラは合唱の上に成り立っている。(……)ソロ歌手はロマンスは歌えてもオペラ全部は歌えないわ。オペラの土台は合唱曲よ」、と。
*しかし<ヴェルディの家>の経営は、必ずしも順調というわけではない。
それについて、画面外のラーリ館長はおよそこう言う――1902年に開館して以来<家>は、ヴェルディの著作権収入だけで運営されてきたが、彼の著作権は20年前に失効し、財政は非常に困難になっている。しかし、運営側としては、<家>で暮らす老音楽家への待遇のレベルをできる限り下げたくない。しかし、現在の財団の経済状態と生活費の上昇で運営はたいへん難しくなっている。<家>は音楽を愛する人々の協力を必要としている、と。――まったく無責任で突飛な連想だが、オペラ同様、全盛期をとうに過ぎてしまった今日の映画を取り巻く、さまざまな困難な状況が思いやられ、ちょっと憂鬱になる(古典映画やマイナー映画の上映施設の運営困難、映画書籍の売れ行き不振、観客のナイーブ化、映画マニアの島宇宙化、などなど)
*サロンに集まった老音楽家たちが、プリゲドゥの指揮のもと、ピアノの伴奏に合わせてヴェルディのオペラ、「ナブッコ」(~想いよ、黄金の翼にのって~)を合唱するところも、実にいい。合唱の素晴らしさと、歌い手の顔のアップなど一つも撮らずに、やや引いた位置から彼、彼女らを写しつづけるカメラワーク。その二つがあいまって、ジョン・フォードやハワード・ホークスの映画における、讃美歌や民謡の合唱場面のような幸福感が画面に満ち渡る。
*ラスト近くで演じられる“カーテン・コール”の場面にも、心を揺さぶられる。
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