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[書評]『フードトラップ』

マイケル・モス 著、本間徳子 訳

東海亮樹 共同通信記者

罠にかかって太ったアメリカ人  

 クラフト社が1988年に発売を開始した「ランチャブルズ(Lunchables)」という子ども向けのパッケージ食品は、アメリカの食習慣を一変させたという。

 「楽々ランチ」とでも訳したらいいだろうか。加工肉、チーズ、クラッカーなどがプラスチック容器に詰められ、包装を開ければすぐに食べられる。

フードトラップ『フードトラップ――食品に仕掛けられた至福の罠』(マイケル・モス 著、本間徳子 訳、日経BP社) 定価:本体2000円+税

 日本では販売していないので、インターネットで画像を引っ張ってみたら愕然とした。何年か前にネット通販のおせちが、しょぼくれた食材が少ししか入っていなくて笑いものにされたが、そういう感じだ。「こんなものが食えるか!」と大方の日本人は考えるのではないか。

 しかし、アメリカの子どもたちはこれを嬉々として大量に食べる。便利さを求める親たちに、ひいては食品企業に「食べさせられている」と言ったほうが正確だろう。

 本書の原題は「Salt Sugar Fat: How the Food Giants Hooked Us(塩・砂糖・脂肪 私たちに罠を仕掛ける巨大食品産業)」。ランチャブルズは塩、糖分、脂肪をふんだんに含有し、まさに「罠」の象徴とも言える商品だ。

 本書はニューヨークタイムズの記者が、アメリカの大メーカーが加工食品を消費者に大量に購入させるために、どのような研究開発とマーケティングをしてきたかを追ったルポルタージュだ。ケロッグ、ゼネラルフーズ、ネスレ、コカコーラ、ペプシコなどの、この数十年の動きを丹念に取材している。

 「至福ポイント」が本書のテーマだ。至福ポイントとは、食べると脳が刺激され満足感に包まれるような食品成分の最適値のことで、塩、糖分、脂肪の量がそれを決めるという。そして、至福ポイントは栄養学的には驚くべき過剰な量なのだ。

 例えば清涼飲料水1缶には小さじ10杯分もの砂糖が含まれているが、炭酸や香料の配分でいくらでも飲めるようになるという。

 さらに脂肪は至福ポイントのリミットはなく、増えれば増えるほど人間は恍惚感を覚えるそうだ。脂肪は肉の脂身をイメージしがちだが、加工食品においてはポテトチップスのパリパリ感やパンのふんわり感なども脂肪の添加で強まるという。しかもコストは安いので、食品産業が一番頼りにするのは脂肪なのだという。

 大手食品産業は莫大な予算を投じて「至福ポイント」の研究を進め、大量に、そして低コストで製造できる加工食品の研究開発を進めている。代表的な存在はフィラデルフィアにある「モネル化学感覚研究所」だ。食品産業各社の予算支援を受けて、生理学や化学、神経科学、生物学、心理学、遺伝学の専門家が、味覚のメカニズムの解明に取り組んでいるという。

 研究所の予算の半分は政府が提供しているが、国民の健康のためというより、むしろ食品の塩、糖分、脂肪がどのように消費者をとりこにするかを研究している。

 著者は塩、糖分、脂肪を食品ビジネスの「兵器」と表現するが、研究所はさながら「軍事研究所」のようだ。研究をもとに食品メーカーは塩、糖分、脂肪の量をどんどん増やし、そしてどんどん売り上げは上がっていった。

 当然のように、甘くて脂肪たっぷりの加工食品ばかり食べていれば肥満になる。アメリカ人の肥満率は約35%と世界一だ。深刻なのは子どもの肥満率で、1980年から3倍になり、糖尿病も増え続けている。ちなみに日本人の肥満率は3%程度だ。

 こうした事態を政府やメディアはただ見逃しているわけではなく、栄養の偏りや過剰摂取についての研究結果をもとに、政府からの注意喚起や報道が活発に行われている。しかし、食品産業はさまざまなマーケティングでメディアと消費者の疑問の目をかわそうとし、ロビー活動によって議会や政府に踏み込んだ規制を行わせないようにしている。そうした実態を報告しているのも、本書のすぐれた点だ。

 食べ物の問題であらためて気づかされることも多い。脂肪の多さにおいては、チーズと牛肉の赤身肉が抜きんでているのだという。ハーバード大の公衆衛生学者の研究も、肥満を防ぐにはチーズと赤身肉の摂取量を減らせばよいと結論付けたそうだ。アメリカ政府は国内では規制に曖昧な態度を取っているが、著者は、農務省が牛肉とチーズの海外輸出を促進したのは「武勲」だと皮肉っている。

 アメリカ食品産業の進出の直撃を受けたメキシコは、肥満率がアメリカに次ぐ世界2位となった。インドではクッキー「オレオ」をはじめアメリカブランドの「多糖・多脂肪」の食べ物が急速に広がり、一方で貧困層が栄養失調なのに、その一方で中産階級以上の肥満率が増加するという社会問題に悩んでいるそうだ。アメリカは「肥満大国」に飽き足らず、「肥満輸出国」にもなっている。

 冒頭にあげたランチャブルを受け入れられないだろう日本人は、「多糖・多脂肪」の売り込み攻勢で被る打撃は部分的になるだろう。しかし、もしTPPが導入されればアメリカの食品の輸入が増えるだろうし、昨今の「肉ブーム」は若年層の食習慣の変化を感じさせないでもない。

 本書では触れられていないが、先進諸国では「多糖・多脂肪」の加工食品は、貧困の問題とも密接に絡んでいる。そうした商品は価格が安い、という単純な事実があるからだ。

 アメリカではジャンクフードに依存する貧困層の子どもたちの肥満と、偏った栄養状態が問題となっている。安価で便利な加工食品をすべて切り捨てることは極論になってしまうが、「肥満大国アメリカ」を反面教師とする必要はあるのかもしれない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。