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映画史上屈指の“怪物”、シュトロハイムの監督デビュー作『アルプス颪』が東京・渋谷で上映!――悪党好色漢が主役の傑作<山岳スリラー>

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 ウィーン生まれのエリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885-1957)は、オーソン・ウェルズとならんで、映画史上屈指の“呪われた怪物”である。

 ケタ外れの才能に恵まれながらも、完全主義による撮影期間の長期化、ディテールへの偏執的な目配り、途方もない長尺化による予算超過ゆえに、シュトロハイムは製作会社と度重なるトラブルを起こし、結果、サイレント末期の1928年に――43歳で!――監督としてのキャリアを断たれてしまう(オーソン・ウェルズの“呪われた監督歴”については2014/01/16の本欄「必見! ナチ残党狩りを描くオーソン・ウェルズの『謎のストレンジャー』(中) ――ウェルズという“呪われた天才”の肖像、および彼の<作家性>について」参照)。

 こうした映画作家としての“呪われたキャリア”に加えて、俳優でもあったシュトロハイムの容貌が、これまた“怪物”ないしは“怪優”という言葉にぴったりだった。

 小柄な彼の、モノクル/片眼鏡をかけた顔はずる賢い猿のような悪相で、しかも刈り上げた後頭部、首(猪首<いくび>)、背中が、いわば絶壁状に一直線でつながっているのだが、彼は作中でしばしば、首と胴体を同時に動かして振り向く(その動作は、歯ぐきをむき出しにしてニャッとする表情同様、かなり不気味)。

 おまけに、初期の傑作サイレント、すなわち今回取り上げる『アルプス颪(おろし)』(1919、初監督作)、および『悪魔の合鍵』(1920)、『愚かなる妻』(1922)でシュトロハイムが扮するのは、人妻をあの手この手で誘惑する女たらしの役なのだ。

 文字どおり憎まれ役のアンチ・ヒーローだが、彼はモノクル同様、トレードマークのオーストリア将校の軍服を着て、自らを貴族の退役軍人だと称して社交場に出入りする。

 さてこのたびオーディトリウム渋谷で、特集「ダニエル・シュミットの悪夢――彼が愛した人と映画」の1本として上映される『アルプス颪』(原題「Blind Husbands)は、いま触れたように、狡猾な好色漢に誘惑される人妻を描く“よろめきメロドラマ”だ(シュミットと本作の関連については後述)。

――イタリアとの国境に近いオーストリア・アルプスの村に、アメリカ人夫婦が休暇でやってくる。医師である夫のアームストロング(サム・ド・グラス)は、美貌の妻マーガレット(フランシリア・リビングトン)を愛してはいるが、蜜月を過ぎた夫の常として、もはや彼の妻への愛は情熱的なものではない。そのことで妻は欲求不満をつのらせている。浮かない顔の彼女に目をつけたのが、自称・退役オーストリア将校、エリッヒ・フォン・シュトイベン中尉(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)。シュトイベンは執拗にマーガレットを誘惑するが……。

 こう要約すると、『アルプス颪』はよくある三角関係メロドラマに思えるかもしれない。しかしながら、『悪魔の合鍵』『愚かなる妻』同様、主人公が奸知にたけた女たらしである点で、本作はハリウッド・メロドラマの定型からは大きく逸脱したピカレスク/悪漢映画だといえる。

 もちろん、この異形の映画の凄さは、そうした<悪>を焦点化する物語や人物設定だけでなく、映画作家シュトロハイムの演出力や細部への精緻な目配り、およびカメラや編集の冴え、さらに俳優シュトロハイムの強烈な存在感によっている。

 ようするに『アルプス颪』では、卓越した<語り口>が、一つひとつのショットの強さ、役者のしたたかな存在感とあいまって、見る者の集中を一瞬たりとも切らさないのだ。

――たとえば開巻まもなく、ケーブルカーに夫妻と乗り合わせたシュトイベン/シュトロハイムが、マーガレットのスカートからのぞいた足を、好色そうな目つきで見やる場面。

 そこでは、マーガレットの足に視線を向けるシュトイベンの卑猥な顔がまず示され、ついで彼女の足のカットが映る。いわゆる視線つなぎ(見る者のショット→見られる対象のショット)だが、それはこの場面だけでなく、以後も作中でしばしば、絶妙なリズムでくり返される(監督シュトロハイムは、ハリウッド全盛期の他の巨匠同様、<映画の中で視線をどう描くか>を知り抜いていた)。

 また前半の、夫にかまわれないマーガレットの寂しさが描かれるところでは、鏡と焦点移動とオーバーラップが巧みに用いられる。カメラはまず、画面手前右に、マーガレットの顔、奥に鏡に映ったベッドで寝ている夫の姿をとらえる(タテの構図)。ついで、画面奥の鏡には、夫の寝姿にかわって、この少し前の場面で登場した幸せ一杯といった様子の新婚カップルが、仲むつまじく添い寝する映像がオーバーラップされる。

 そこでは焦点も手前のマーガレットに合ったり、奥の鏡の中の映像に合ったりするが、つまり、画面奥の鏡面に映るのはマーガレットの想像上のイメージなのだ。なんとも手の込んだ、しかし観客には人妻マーガレットのやるせなさが――言葉による説明ではなく、画(え)そのものの変化によって――鮮明に伝わってくる名場面だ。

 人妻マーガレットに扮するフランシリア・リビングトン(1985-1934)は、“映画の父”D・W・グリフィスのミューズだったリリアン・ギッシュを、もう少し色っぽくコケティッシュにしたような美人で、シュトイベンにしつこく誘惑されると、媚を含んだ目をして悩ましげに身をくねらせ、もはや“風前のともしび”といった様子になるあたりが、エロチックで

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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