2014年08月13日
前回記したように、『アナと雪の女王』とディズニー従来作との違いは、第一に設定解説が大胆に省略され、展開が高速であることだ。違いの第二は「魔法との共存」が語られることである。
開幕間もなく、エルサがアナを氷結魔法で傷つけてしまい、王はトロール一族に助けを請う。トロールの長ハビーは王に問う。エルサの力は「呪い」か「生まれつき」かと。王は「生まれつきだ」と応える。
魔法の由来に関する説明らしきものはこの一言だけだ。エルサがなぜ「生まれつき」氷結魔法が使えたのか、その理由も由来も最後まで分からない。同様に、トロール一族と王家や魔法の関係性も不明のままだ。
プリンセス物語に不可欠な「魔法」は、従来作では物語の閉幕と共に、その効力を失効して来た。白雪姫とオーロラ姫は王子のキスで呪いを解かれ、シンデレラは24時にボロ服に戻り、アリエルは人間となり、ベルは王子に戻った野獣と結ばれ、ラプンツェルは黄金の髪を失った。歴代プリンセスは、自身の境遇を特別なものとしていた魔法を失うことで「普通の少女」としての幸福を掴んで来たわけだ。
魔法は、時に人々が争ってまで欲する絶対的な力であり、負の呪いとして不幸の源ともなって来た。とりわけ巨大な魔法は、本来の幸福とは異なる位相の不自然で危険なものとして描かれるケースが多かった。
エルサの氷結魔法も一国を滅ぼすほどの巨大な力を有している。過去作に照らせば威力を発する魔法を行使するのは魔女か魔法使いで、大抵野心的な悪役である。エルサの初期設定もアナに対抗する悪役であったという。
逆に、善き魔法使いの魔法は、大抵世界を変えるほどの力は持っていない。シンデレラにパーティーに相応しいドレスと馬車を与えるフェアリー・ゴッドマザー然り、マレフィセントに敵わない3人の妖精然りだ。だからこそ、ハッピーエンドには魔法の失効が欠かせなかったのだ。
エルサは、成長と共により大きな力を得た。しかし、魔法の根源は「生まれつき」以外は一切不明なので、失効させる方策すら分からない。父王は精神的コントロールのみを説き、何故か魔法そのものを悪として取り除く方策を探ろうとはしなかった。
父亡き後、エルサ自身がどのように魔法と向き合い、精神鍛錬を行って来たのかも不明だ。部屋中を凍結させても、側近全員が魔法について何も知らないとすれば、どうやって氷を溶かして生活を営んでいたのかも分からない。また、安定を欠く自分と知りながら、王位継承権を受容する政治的理由も語られない。
前述のように、アンデルセンの『雪の女王』や『氷姫』の女王や姫は始めから人間ではなく、冬という季節や冷気を象徴化した超然たる神の如きキャラクターだ。だから魔法の根拠や詮索は意味がない。
これに対し、エルサはあくまで人間である。巨大な能力に目覚めて不死の神に転生するわけでもなく、最後まで生身の人間のまま能力を行使し続ける。彼女は「生まれつき」生身の魔法使いという異常な存在であり、一体何者なのかという素朴な疑問が残る。
物語の結末では、「真実の愛」によって魔法の自制的コントロールは可能となったように描かれているが、本来の力がどれ程凄まじいものなのかは未知数のままだ。
しかも、彼女は一国の最高権力者である。国民にも隣国にもその最終兵器のごとき威力は知れ渡っており、未来永劫何の干渉もなく平和に過ごせると考えるのは、無理な未来予想図ではなかろうか。核兵器を有しながら、抑止力としての平和を説く某大国の如しで、彼女は相変わらず危険であり、紛争の不幸を招く可能性を残している。
夏に箱庭的なかりそめの冬を演出して、そこでの幸せを語って終えるというエピローグは、巨大な力との危うい共存を示したという意味で、これまた異質である。
第三に、舞台設定の様々な矛盾である。アレンデールは不思議な国である。
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