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民主主義とカオス――『民主主義って本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた』を読む

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

 チャーチルの有名な言葉、「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが」は、今日益々至言であると思われてくる。

 「民主主義」が、命綱ともいえる民意をうまくすくい取れなくなっているのではないか、そんな問題意識をもって朝日新聞の取材班が日本を含めた世界に取材したシリーズ「カオスの深淵」が一冊にまとめられたのが『民主主義って本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた』(東洋経済新報社)である。

 「民主主義」とは、ある国、ある地域に生きる人々が等しく政治的決定権を持つ、文字通り「民が主」の制度である。ただし、古代ギリシアの都市国家と比べ地域の単位も広がり、人口も増大した今日にあっては、往時の「直接民主制」ではなく、「代表民主制」を取らざるを得ない。

 その時、一人ひとりの意志と決定権は、選挙によって表明され、実現される……筈だ。だが、実際には、選ばれた政治家や行政に問題を丸投げにする「お任せ民主主義」に陥っていることが多い。

 「民意」は、一枚岩ではない。「主」である「民」同士で利害が全く対立、衝突することも珍しくはない。それらの対立、衝突がさらに重なりあい、複雑な様相を示すのが通常である。

 丁寧に議論すること、一人ひとりの権利は平等ということを前提にして解決を図るのは、余りにまだるっこしい作業で、おそらく不可能であることも多いだろう。挙句、「民主主義」である筈なのに「お上」に丸投げすることになりがちとなる。

 選挙が盛り上がることも、ある。ただし、それは多くの場合、ポピュリスト的な候補者が勢いづいた時で、主権者同士の議論が活発化したからではない。むしろ、「丸投げ」が更に進んで「強いリーダー」が待望される、というべきだ。

 そうした「代表民主制」への反動もある。

 「選挙じゃない、占拠だ!」と民衆が動いたエジプトのタハリール広場、ウォール街、マドリード・プエルタ・デル・ソル広場の占拠など……。そして日本でも、原発への異議を表明する官邸前を中心とした全国的なデモがある。だが、それらが「代表民主主義」を覆したわけではない。

 グローバル化した「新自由主義」経済のもと、マネーは利益を求めて世界中を飛び回り、さまざまな国家財政を食い物にする。「民主主義」の制度は、基本的には国家止まりだから、グローバルな市場を左右、規制することはできない。

 “市場の速さについて行こうとすれば民主主義は制限される。民主主義を尊重しようとすれば市場が社会を窮地に追い込む。民主主義はわなにはまったように見える”。「借金が民主主義を支配する」と言われる所以である。

 「国家破綻」を宣告された国は借金返済を最優先させられるが、そもそもその借金は、誰が誰から何のためにしたものなのか? 多くの国民にとって、与り知らぬことだろう。

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