安西水丸 著
2014年08月21日
近くの書店で、平積みの最後の1冊がぽつんと置かれていた。手書きの書名に惹かれて手にとってみると、今年3月に死去したイラストレーターのエッセイ集である。『オール読物』に隔月で連載された紀行文だが、書き溜めていたものか書下ろしが3本ある。
復元された天守閣などはないほうがいいという。たしかに大洲城など近年に復元された天守閣を見ると、なにか違和感がある。風景になじんでいないような気がするのだ。しかし何年か経つと、それが当たり前の風景になってゆくものなのかもしれない。
取り上げられる城下町も渋い。行田市、飯田市、土浦市、木更津市……、地元の人以外はあまり城下町とは意識されていない町ばかりではないだろうか。
飯田市は城の形跡はまったくないが、碁盤上の通りを歩き、大横町、通り町、主税(ちから)町、追手(おうて)町などの町名に接するだけで城下町の空気が伝わってくるという。
安西さんは町の観光案内所で市街地の地図や江戸城下の地図をもらって町歩きをはじめ、城郭図にみられる城の縄張り(設計)や武家屋敷などから空想を膨らませていたようだ。
時代物にも造詣が深く、歴代の城主(藩主)や藩の来歴についてもよく調べて書いている。江戸時代の小大名はよく任地替えをさせられたから、ちいさな城下町の藩主はめまぐるしく変わっている場合が多いのだが、じつに手際よく整理して記述されている。
その一端を紹介すると、「寛永9(1632)年、(井伊)直勝は家督を子の直好に譲って隠居、直好は正保2(1645)年6月に三河西尾藩に移され、代って三河新城藩から水野元綱が2万石で入ってくる。……水野氏のあと、堀田氏、板倉氏、内藤氏とせわしく入れ代り、寛延2(1749)年、遠江相良藩から板倉勝清が2万石(やがて1万石加増)で入り、以後板倉氏がつづき、6台藩主板倉勝殷(かつまさ)で明治を迎えている」(安中市)という具合。なかなかこうは書けないものだ。
そうした人柄もあってか、城下町への視線はどこまでも温かい。好き嫌いもはっきりしている。
中津城を築城した黒田官兵衛などの軍師は「ちょっと邪悪な男」(中津市)、たくみ工芸店をつくって民芸品の流通につとめた吉田璋也には、美を見つめる目と、多くの民芸作家を育てた点で、柳宗悦やバーナード・リーチも及ばないと賛辞を惜しまないのである(米子市、高梁市)。
21の城下町が取り上げられているが、僕の場合、行ったことのあるのは4つの町だけで、町歩きもほとんどしていない。何か縁でもなければ小さな町には行く機会がなく、知らずに終わってしまうのが現実だろう。自分で見どころをみつけ、小さな旅を発見するためのヒントとして僕はこの本を読んだ。
同じ意味で、池内紀『なぜかいい町 一泊旅行』(光文社新書)もお薦めである。最後のほうで紹介されている高梁市(岡山県)や三春町・二本松市(福島県)にはぜひ行ってみたいと思っている。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください