大野更紗 著
2014年08月21日
私事で恐縮だが、私は、突然難病患者になってしまった苦難の病院生活を活写した大野更紗の『困ってるひと』(ポプラ社、2011年)を、脳血管障害で生涯初めて長期入院した病院の中で、辛いリハビリテーションのさなかに読んだ。
彼女の病気は、自己免疫疾患系の「皮膚筋炎」並びに「筋膜炎脂肪織炎症候群」と呼ばれるもの。免疫システムが暴走して自分が自分を攻撃するという、原因もどんな症状が出るのかもよくわからないという代物だ。
彼女に現われた症状は、腫れものがところかまわず顔を出して、全身の筋肉に四六時中痛みが走り、目が弱って、自力歩行もおぼつかないというもので、皮膚も何かに触れるとすぐに傷ついてしまうほど過敏になったという。
根治策はなく、ステロイドや免疫抑制剤といった対症療法の薬剤を、大量投与するしかないという、彼女の言葉でいえば、まさに「困難の総合商社」というありさまだった。
前著では、そんな始末の悪い敵と向かい合った「難病女子」の闘病の様子が、医師とのつきあいを活写しながら語られる複雑な医療・福祉体制への批判とともに、そんな深刻さとはおよそ釣り合わない、明るいユーモア精神で描かれていた。
病気療養中の一読者としては、抱えた困難に似合わぬそのサービス精神に、病の重篤度や年齢差を忘れて心を動かされ、励まされもしたのだった。
本書は、そんな著者が、ある意味では鳥の巣のようなチーム治療の篤い庇護のもとを離れて、病院を「家出」して、主治医たちとの「別居」をはたし、「自立した難病女子」として生きるべく、勇躍「シャバ」に繰り出していくところからはじまる。
しかし、この退院部分に、前作にはない切なさが漂っていると感じるのは、私だけではあるまい。そこには、苦難で埋め尽くされた病院生活でわずかにすがっていられた(医師との間に、ある一体感をもてたがゆえの)かすかな潤いから離れる寂しさと、今後の「ひとりぽっち」の生活に対する不安が重なってできた、複雑で誰もが感じる、ある素直な感情の表出がある。
たとえば、歩いて通院する病院が、著者の身には途方もなく遠かったという報告に、この国の行政のバリアフリー意識の現状を感じたり、電動車椅子に補助を得ようと会った役人の態度に、福祉現場の杓子定規な冷たさをあらためて確認したりといった具合に。
加えて、入院中に知り合った同じ難病患者の「彼」との「別れ」のエピソード。逆に、ツイッターで知り合った、人工呼吸器をつけて大学に通っている、「シャバ」で「うちゅうじん」のようにたくましく生きている大学院生との、楽しく衝撃的な「出会い」などもある。そして、その間も絶え間なくやってくる新たな症状と、生活費という経済の問題……。
この「シャバ」の風がもたらす困難と将来への重い不安感は、前作にあった著者のサービス精神に、さすがにいくぶんかのブレを与えたようだ。とくに前半部の文章に頻出する、言わずもがなのおどけた表現には、どこか空回りする痛ましい印象を感じてしまう。
しかし、と、ここで急いで付け加えておかないといけない。それは、「家出」後に自宅で遭遇した2011年の東北大震災によって、彼女の中にまったく新しい感情が生まれたことだ。「3月11日までは、自分だけに『不条理』がふりかかっている」と思っていた彼女が、3月11日を通過してからは、「全員が、何らかの形で『不条理』を経験してしまった」と思うようになるのだ。
そして、自分でも、困った人たちを「支援したい」「支援できるのではないか」と考え、熟慮の末、『困っている人』の著者として可能な行動を起こすことにつながっていくのである。この、目の前にはいない他人たちへの想像力に促された決心に、もはやブレがなかったことは、その後の彼女がホームページやツイッターその他を駆使して行なっている、高齢者や障害者、難病者などへの緊急時の支援要請の活動などが、雄弁に証明していると思う。
その経緯を記した「ゆ・れ・る」「お役に、立ちたい」「シャバが、好きだよ」と続く終わりの3章が、本書の読みどころだ。彼女は慎重に「おせっかいで、ある種傲慢な」というひかえめな大人の断り書きをつけてはいる。
だが、私は、今もつづく彼女の難病体験と大震災との遭遇が生み出した、稀有な奇跡の一つだと、軽い障害を抱える者として、あえて言いたいと思う。重い私的な困難と正面から向かい合うことが、社会にこのような希望の種を育てることがあるのだという、確かな実例の一つとして。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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