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市川雷蔵特集が東京・新宿にやってきた!(4)――三隅研次監督の不気味な傑作『剣』(続)

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 三隅研次の『剣』においては、森一生の『薄桜記』同様、一つひとつの場面・ショットがじつに効果的に配列される。つまり、それらが互いに呼応しあい、剣道に全身全霊をかけるが最後は自裁に至る「純粋」な主人公、国分次郎/市川雷蔵のドラマがスリリングに描かれるのだ。

 もっといえば、密度の高い各場面、各ショットが互いに連鎖反応を起こすゆえ、物語は終始テンポよく展開し、緊張が途切れることはないのだ(本欄で再三くりかえしているように、物語展開における<早さ>と<緊張の持続>こそ、大半の現代映画から失われてしまったものだ)。

 すなわち――映画は、太陽の光を浴びる少年時代の国分の映像に始まり、大学剣道部主将となった「現在」の彼の苛烈なストイシズム、それに嫉妬し敵愾心(てきがいしん)を燃やす賀川/川津祐介、逆に国分を偶像視する壬生/長谷川明男、国分の剣の腕前を称賛する木内監督/河内秋武や部のOBらを、国分の指導のもと部員らが練習に励む光景を随時挿入しながら、速やかに画面に提示してゆく(牧浦地志のカメラは、寄り・引きのショットを自在に組み合わせ、俯瞰やロー・アングル、そして明暗を巧みに使い分ける。ちなみに、壬生が腕立て伏せをするところで、彼の視点となったカメラが、接近したり遠ざかったり地面を写す主観ショットもユニーク)。

 さらに、序盤で観客をハッとさせるのは、司法試験の勉強のせいでノイローゼになり、ビワを食べながら自殺した男子学生が発見されるところだ。そこで国分は壬生に向かって、「自殺するのは本当に弱い者か、あるいは本当に強い者だ」「強い者が自殺することはありうる」と、自分の運命を見通したようなセリフを口にする。ともかくこの場面は、ラストのヤマ場への布石となる重要なくだりだ。

 そして序盤の、大学一の美貌を誇る恵理/藤由紀子が、国分/雷蔵の前に姿を現わすシーンの鮮やかさはどうだろう。――国分が大学構内の土手に寝転がっていると、突然、一発の銃声が響く。町の不良青年グループが、大学の飼っている鳩を撃ったのだ。

 国分は起き上がり、まだ生きている鳩を手にしている不良のボスに向かって、その鳩は大学のものだから返せ、と言う。粋がって国分に銃を向け脅し文句を言うボスを、国分の竹刀は一撃で叩き伏せ、彼らを退散させる。

 次の瞬間、飛び立った鳩がそのまま降下し、国分の手の中に落ちる。すると国分は何か醜いものでも見るように、かすかに不快そうな表情を浮かべ、鳩の首をひねって

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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