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台湾巨匠傑作選が東京・新宿でスタート!(2)――エドワード・ヤン監督の比類なき家族群像劇、『ヤンヤン 夏の想い出』(中)

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『ヤンヤン 夏の想い出』で、父・NJと元恋人との日本での再会とパラレルに描かれるのは、15歳の娘・ティンティン/ケリー・リーの恋愛である。この儚(はかな)いラブストーリーを描くエドワード・ヤンの手つきも、じつにデリケートだ。

 ティンティンの隣家には、チェロを弾くリーリーという娘が住んでいた。小ビッチといった感じの、気まぐれで気性の激しいリーリーには、ファティという恋人がいる。が、ふたりの間はどこかぎくしゃくしているようだ(ティンティンは部屋の前で、リーリーが別の若者とキスしているところを目撃したり、ファーストフード店ではファティに待ちぼうけを食わされたリーリーに付き合って愚痴をきいたりする)。

 その後、ティンティンは高速道路の下で何度かファティと会い、リーリー宛ての手紙を手渡される。が、ティンティンはある日、もうこんなことをするのはまっぴらだと怒る。するとファティはティンティンに、この手紙は君宛てだと言われ、ふたりは付き合い始める。やがてファティはティンティンをホテルに誘う。

 が、ファティは困惑した末に、何もせずにホテルを去ってしまう(これも伏せておくが、その後、このエピソードは意外な方向に転がり、エドワードの芸の細かさが光る)。

 この一連の場面でも、カメラは人物らを終始引きぎみにフレームにとらえ、彼・彼女らの心の動きに余計な説明を加えない(リーリーが怒りを露わにする瞬間もあるが、そこでもカメラはぐんと引かれた位置から彼女をうつす)。

 なのに、彼・彼女らの感情や思いは鮮やかに描き出される。瞠目(どうもく)すべき演出力、そして画力である(ただしここでは触れない、その後のリーリーとファティの言動をめぐっては、ふたりがそのように振る舞う心理的動機をいっさい示さない<反=古典的な>描法が――思い切った省略法とともに――用いられ、われわれを一驚させる。要注目)。

 そして、とりわけこのティンティンの恋をめぐるシークエンスで目を見張るのが、さまざまなアングルで切り取られた台北という都市の、すこぶる鮮明な表情だ。

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