ザック・オマリー・グリーンバーグ 著 高崎拓哉、堂田和美、富原まさ江 訳
2014年09月11日
私にとって「洋楽」との出会いは、1983年から始まったテレビ神奈川(TVK)の金曜深夜番組「SONY MUSIC TV」でした。洋楽のプロモーションフィルムをMTVから持ってきてフルコーラスしっかり流し、それが3時間以上続く。
そんな私にガツンと刷り込まれたのが、マイケル・ジャクソンの一連のフィルム。
『ビリー・ジーン』の格好良さにしびれ、『今夜はビート・イット』のバカッっぽいストーリー展開に興奮し、極めつけがあの『スリラー』の長さと例のダンスとドンデン返し。
このへんのフィルムは毎週、下手すると一晩で複数回流されましたが、なんであんなにマイケルのフィルムがヘビーローテーションで流されていたのか、理由を考えたことはありませんでした。
本書『MICHAEL JACKSON,INC』は明快にそのあたりを教えてくれます。
経済面に着目したマイケルの大型評伝、という企画ですが、スピード感ある展開で、ジェットコースターのようなマイケルの人生を追体験することができます。
「どうしてMTVでマイケルのフィルムばかり何度も流されたのか」に対する答えは、以下の二つに分析されています。
第一は、もちろん作品自体の斬新さやクオリティの高さです。
本書では、執拗なまでに完成度を追求し、そのためにカネも納期もスタッフも犠牲にしてしまうマイケルの姿が何度も描かれています。
私の見るところ、そのタガの外れっぷりは、『スティーブ・ジョブズ』における描写を凌駕するでしょう。おかげで、やがてマイケル自身が精神にダメージを負い、敵を増やすことにもなったわけですが……。
そして第二は、高いビジネス感覚に裏打ちされた、マイケルの交渉のうまさです。
当時のMTVには黒人アーティストを拒絶する風潮があったことを、マイケルは理解していました。そこで彼は所属レコード会社の社長を通じてMTVに圧力をかけます。MTVが人種差別主義者の集まりであるということを公にしてよいのか、と。並行して同レコード会社のビデオをMTVから引き上げるという恫喝もなされ、それにあえなくMTVは屈しました(MTV自身はこの経緯を否定しています)。
つまり本書は、マイケルの成功の理由は、彼のたぐいまれなるビジネス能力の高さにもあった、と説いているのです。
ではマイケルはいかにしてその能力を身につけたのか、「フォーブス」誌記者である著者は丹念な取材で解明していきます。取材に応じたのは伝説的プロデューサーから超大物弁護士まで、プロ中のプロばかり。そんな彼らが口をそろえて、マイケルがいかに貪欲にビジネスを学んでいったかを語ります。
マイケルは9歳のころから大人たちの交渉の現場に立ち会い、ひたすら自分側も相手方も観察していたと証言されています。その結果、21歳で彼は自分の父親を解雇し、巨富が動く音楽ビジネスの陣頭に立つようになりました。
アーティストが自分の楽曲に権利を行使するのは現在では当たり前ですが、その道を切り開いたのは若きマイケルだったことが、本書で再確認されます。
本書は引き続き、マイケルがビートルズ楽曲の権利を獲得するスリリングな経緯や、空前の規模となったツアーを実現させるための奮闘ぶりも克明に描きます。そんなマイケルの成功は、ハリウッド映画を実現させることで頂点に達するはずでした。
しかし周知の通り、彼は転落していきます(ただし、例の性的虐待疑惑については、明確に否定する論拠を記述しています)。デジタル化の進展で、今やカネをつぎ込んで技術を駆使すれば、どこまでも作品の完成度を上げることが可能となり、それゆえ、マイケルの仕事は完璧さの終わりなき追求となってしまいました。
つまり、彼を成功させた「妥協のない制作スタイル」が、テクノロジーの進歩により、「いくらカネと時間を突っ込んでもキリがなく、作品がリリースされない原因」に反転したというわけです。
さらにかつての過酷なパフォーマンスの後遺症と訴訟騒動が心身を果てしなく傷つけ、マイケルは新たなツアーに挑む気力も失ってしまいます。そして身辺に残ったのは「妥協のない制作」にストップをかけようとしない取り巻き集団ばかり。
新曲も発表せずツアーもせず、取り巻きが浪費を重ねたのでは、待っているのは資金ショートです。いくらマイケルが高いビジネス能力を持っていても、先日売却報道が出た豪邸「ネバーランド」を維持することは難しかったでしょう。
本書のクライマックスは、マイケルの死後に起こった逆転劇です。
幻に終わったツアーのリハーサル風景を収めた記録映画『THIS IS IT』は、映画化権料だけで6000万ドル、その後の動員で2億ドルをマイケルの遺産管理財団にもたらすメガヒット作となりました。
つまり、生前のマイケルが切望していた映画での成功は、皮肉なことに彼の死によって実現されたのです。ファンにとっては悲しいこの逆説は、ポップカルチャーをビジネスにする際のひとつの真理なのかも知れません。
最後に。原書は文中に登場するあらゆるコメントやデータについて詳細な出典を明示しており、本書はそこまで注として完全に翻訳しています。ただでさえ翻訳書を作るのは面倒だというのに、後世に残る書にしようと労を厭わなかった編集の方の熱意に頭が下がります。
また、本書を刊行した阪急コミュニケーションズは出版部門が売却されたと報道されました。一編集者では抗うことの難しい環境の変化に対し、真摯に本作りを重ねることで応える姿勢に、私は賛意を表したいと思います。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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