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台湾巨匠傑作選が東京・新宿でスタート!(3)――エドワード・ヤン監督の比類なき家族群像劇、『ヤンヤン 夏の想い出』(下)

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 前回も述べたように、少年ヤンヤンは、大人たちの言動を見まもるだけの存在ではない。いくつかの場面では、自らもコミカルな主人公となる。

 ヤンヤンは小学校の同級生の女子にいじめられたり、いたずらをして教師に叱られたり、洗面台に顔を突っ込んだり(潜水の練習!)、泳げないのにプールに飛び込んで観客をはらはらさせたり、周りのものをカメラでパチパチ撮ったりするのだ(ヤンヤンの受けるいじめは陰湿ではなく、きゃあきゃあ言われていじられる程度のもの)。

 ヤンヤンを一番いじめるのは、じつは彼が好いている背の高い少女だが、ふたりをめぐる理科の授業のシーンが印象深い。

 暗くした教室で生徒らが気象の変化についての教材フィルムを見る、いわば映画内映画の場面である。そのフィルムには、雲や雨や雷の発生のメカニズムや、あるいは生命の始原について説明する女性のナレーションとともに、青白い渦を巻いて変化する大気や、稲妻が閃(ひらめ)く雷雲が映し出されるが、その途中で例の少女が教室に入ってくる(ドアノブに引っかかった彼女のスカートがまくれ上がり、真っ白いパンツが丸見えになるのを、教室の後方の壁ぎわに座ったヤンヤンは見逃さない)。

 少女はヤンヤンの手前を横切り、暗闇の中で立ちどまる。いきおい、ヤンヤンの目には少女が、スタジオでのスクリーン・プロセス(スクリーン合成)で撮られた俳優のような――ただし前方のスクリーンの光を浴びて黒いシルエットとなった――姿に映るわけだ。視覚的アイデアが冴えわたるシーンで、目が釘付けになる。

 さらに興味深いことに、くだんのフィルムに映し出された雨や雷のイメージと呼応するように、続くシークエンスの冒頭は、雨が降りしきり雷鳴が響く街路のショットである(ファティに会うため、傘をさして横断歩道を渡ろうとするティンティンが、ロング・ショットで映る)。

 本作ではこうした雨=水のイメージが、後半で例の少女がプールでみごとなクロールを披露する場面や、前述のヤンヤンがプールに飛び込んだり洗面台に顔を突っ込んだりする場面と呼応する<水のテーマ>として、一度ならず映像化される。そうした水のモチーフの連鎖は、むろんエドワード・ヤンの意図したものだろう。

 ラスト近くの、ティンティンが祖母と対面するくだりは、この映画で最も心を動かされるシーンのひとつだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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