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[書評]『浮浪児1945』

石井光太 著

野上 暁 評論家・児童文学者

忘れられた日本のストリートチルドレンからの貴重な証言  

 1977年生まれの著者は、20代の頃からアジアや中東やアフリカの貧困国を回り、紛争や犯罪を調べてルポルタージュしてきたという。

 それらの国々では、長年の貧困や紛争によって町が荒廃し、街頭で物売りをしたり物乞いをして生きる、ストリートチルドレンがたくさんいた。

 しかし21世紀に入ってしばらくすると、急速な経済成長によって、北京やクアラルンプールやナイロビなどの新興都市には、真新しい高層ビルが立ち並び、外資系の巨大企業が押し寄せ、高級車が走り回るようになる。それまで目についたストリートチルドレンは、町の浄化政策によって徹底的に排除されたのだ。

『浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち―』(石井光太 著、新潮社) 定価:本体1500円+税『浮浪児1945――戦争が生んだ子供たち』(石井光太 著、新潮社) 定価:本体1500円+税
 著者は、各国政府が社会の大きな問題に蓋をして、うわべだけ飾り立てているようにみえ、町の本来の姿や人間の本質を包み隠していると思う。

 日本でも、戦後の焼け跡の闇市などに、浮浪児となったストリートチルドレンがたくさんいた。そこで、浮浪児となった戦災孤児たちの記録をひもとき、すでに高齢者となったかつての浮浪児を訪ね歩き、戦後の闇に葬られた歴史にスポットを当てながら、町の変貌と、テキヤやパンパンやヤクザといった集団の実態に迫ろうというのだ。

 敗戦によって浮浪児が生まれたのではない。1945年3月10日、東京大空襲で家や両親を失い、浮浪児となって上野駅の地下道で暮らす子どもたちはたくさんいた。

 3月13日の大阪大空襲で孤児となり、東京に行けば食べ物があると聞いて、友だち3人と東京に出たという少年の記録も紹介される。地方から親族の安否を心配して食料をもって来た人たちが、親族に会えずやむなく上野駅から帰途につくとき、腹を空かせた孤児たちに置いていったのだ。

 そのようにして、何度もおにぎりをもらった少年は、昼は駅の構内で物乞いをし、夜は地下道で眠ったという。

 浮浪児の数は、男児が圧倒的に多い。女児が全体の2割程度だというのは、女の子の方が保護される確率が高く、親族や近隣住民に引き取られたからなのだ。

 餓死する子や病死する子もたくさんいる。空腹のあまり衰弱して朦朧となり、道端に落ちている犬の糞を、周囲がとめるのも聞かず食いつづけ、口から茶色い泡を吹いて倒れたまま死んでしまった子は、極度の栄養失調から、精神錯乱状態に陥ったのだろう。

 このように、仲間の死に立ち会った元浮浪児が、インタビュー中に何人もいたという。筆者とほぼ同世代だけに、読んでいて胸が締めつけられる。

 疎開中に空襲で実家が焼け、両親を失った子どももたくさんいた。すでに敗戦の年の1945年12月15日、東京の上野駅地下道にいた浮浪児2500人が一斉収容されたと新聞で大々的に紹介されている。

 戦災孤児の数は、47年の厚生省(当時)による調査でも、全国で12万3511人いて、大きな社会問題ともなっていた。そして同年3月には厚生省に児童局が設置され、12月には児童福祉法が公布されている。

 厚生省の統計では、東京都内の戦災孤児数は約6000人とされているが、空襲で両親を亡くしたため疎開先で親戚などに引き取られた子どもたちの数は含まれていない。

 その数は5万人とも推定され、また激戦地となった沖縄は統計に入っていないから、実態はもっと多かったに違いない。中国大陸での残留孤児が問題になるのは、戦後もずいぶん経ってからである。

 浮浪児となった戦災孤児は、シケモク拾い、靴磨き、担ぎ屋、スリ、たかりなどのほか、闇市で犯罪まがいのいかがわしい仕事を手伝わされたりもする。闇市の残飯シチューにGHQのでかいコンドームが入っていたのを見つけたら、「これは、カルシウムになるんだよ」と平然と言われたなどの証言にはゾッとする。

 女の子の浮浪児の仕事は、シケモク拾いや新聞売り、靴磨きなどが多かったが、風呂にも入らずに薄汚れていたから、路で拾った男の子の服を着れば、簡単に男の子に成りすますことができる。その方が安全だったのだ。パンパンになって売春をしていた子もかなりの比率になる。

 敗戦の翌年1月から、「愛児の家」という私設の孤児院を始めた女性もいる。後に公営の施設になり現在もある。開設者はもういないが、子どもの頃から手伝ってきた娘さんを取材する。

 「愛児の家」では、いまも卒業生にニュースレターを送っている。あるとき、結婚した女性から、夫に見られるといけないから金輪際送らないでほしいと言われる。浮浪児だったことを知られたくないのだ。現在施設にいる子どもたちの大半が、家庭内暴力の犠牲者だという。現在の縮図が、思わぬところに潜在しているようだ。

 児童文学作家・佐野美津男の、自伝的小説『浮浪児の栄光』(辺境社)は、この本と重なる部分が多々あるが、実体験に即しているだけに迫力がある。

 佐野は、学童疎開先から、中学入学手続きのために帰宅する途中で東京大空襲に遭遇する。浅草に家があった佐野は、いっぺんに両親と姉を亡くし、祖母の家に引き取られる。

 しかし、朝から夜まで過酷にこき使われ、いたたまれずに逃げ出し、上野に出て浮浪児に仲間入りする。窃盗やスリを働き、留置所に入れられたり少年院に送られたりと、浮浪児となって放浪した主人公の、とても子どもとは思えない過酷な日常が描かれる。麻薬や売春もあり、盗んだ金を独り占めして仲間から殺された少年もいる。

 佐野は、日本が8月15日に戦争に負けたというが、子どもにとって親を失ったら負けたも同然だと、たびたび語っていた。戦時中に空襲で保護者を失った子どもたちには共通の想いだろう。

 この本の著者が、5年間の取材を通して出会った、元浮浪児の老人たちの大部分は、妻や子に語れぬ過去を丹念に語ってくれたという。そして、絶望や挫折など、困難にぶち当たった時、逆境をばねにして、がむしゃらに生き抜いた浮浪児たちの力強さを思いおこして見るのも一つの方法だと著者はいう。

 しかしこれまで口を閉ざしてきた老人たちの証言から、いま学ぶべきことはそれだけではあるまい。

 集団的自衛権の容認により、戦争ができる国に変容したら、再び戦災孤児を生むことにもなりかねない。2020年、東京オリンピックに向けて、都市の浄化が加速化され、またぞろ路上生活者の排除も進む。

 アベノミクスとやらで格差も広がり、社会保障費が削られ、消費税率の大幅増で、貧困層の生活苦が拡大する。幼児虐待や家庭内暴力も増加している。ストリートチルドレンの戦後史から何をくみ取るのか? そのあたりの掘り下げが欲しかった。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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