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[書評]『二・二六事件と青年将校』

筒井清忠 著

奥武則 法政大学教授

「天皇型政治文化」の中のクーデター  

  「本書は……はっきり言えば不正確な『流言蜚語』的歴史叙述に退いてもらうべく書かれたものである」

 「プロローグ」で著者は、こう述べる。見事な「決めセリフ」である。歴史研究者のはしくれとして、「ヨッ、筒井屋」とでも掛け声をかけたくなる。 

 二・二六事件は、近代日本史上最大のクーデター事件である。今に至るまで人々の関心は高い。事件発生の理由から経過に至るまで、長く未解明な部分が多かった。

『二・二六事件と青年将校』(筒井清忠 著、吉川弘文館) 定価:本体2600円+税『二・二六事件と青年将校』(筒井清忠 著、吉川弘文館) 定価:本体2600円+税
 関心の高さと事実解明の落差が、さまざまな「浮説」を流通させてきた。しかし、一次史料や裁判記録の発掘が進み、「今日ではほぼその全貌がわかるようになった」と著者はいう。

 にもかかわらず、「浮説」やそれに尾ひれをつけたたぐいの記述がなおまかり通っている。「正確な資料に基づいた学術的歴史研究の成果と一般的向け書物の間に大きなギャップがある」のだ。

 著者は、このギャップを埋めるべく本書を書いたという。一般向けに歴史書を書く著者が持つべき、まことにまっとうな姿勢だろう。 

 もっとも「決めセリフ」だけがどんなに格好良くても、内実の「芸」が伴わなくては噴飯ものだ。

 新聞記者をしていたころ、著者に二・二六事件についてインタビューして文化面の記事を書いたことがある。事件50年の節目のときだったから、1987年、もう30年近い前のことである。

 著者が事件について最初の論文を書いたのはさらにその10年近く前という。むろん、この間、歴史社会学者として広い関心を持つ著者は二・二六事件に限定されることなく、多くの業績をあげてきた。だが、やはり長い蓄積が、本書に結実したことは間違いない。読者は円熟した「芸」を十分堪能できる。 

 まず二・二六事件に至る歴史過程として昭和維新運動の流れが、その源流から書き起こされる。キーパーソン・北一輝については、その生い立ちから国家改造思想の中身にごく簡潔にふれているだけだ。

 しかし、朝日平吾による安田善次郎刺殺事件を参照しつつ、北らの運動を「大正デモクラシー的国家主義運動」とする総括は、十分説得的である。 

 「近代日本史上最大のクーデター事件」は「失敗」に終わった。岡田啓介内閣の倒壊から真崎甚三郎による皇道派暫定内閣の成立に至る計画そのものは、かなり綿密に構築されていた。では、なぜ「失敗」に終わったのか。 

 これは本書で初めて提唱されたものではないが、著者は青年将校を「改造主義」と「天皇主義」の二派に分けて考える。

 「改造主義」は、北一輝の『日本改造法案大綱』に従って日本を変えて行こうとする人々であり、一方「天皇主義」の人たちは、天皇周辺の「妖雲」を払えば本来の「国体」が現れて自然に日本の国はよくなると考えていた。

 むろん一人の青年将校の中に両者の立場は混在していたし、結局「改造主義」は「天皇主義」に勝つことはできなかった。そして、その天皇は木戸幸一ら側近の助言を得て、「暫定内閣」樹立をついには認めなかったのである。 

 その天皇と天皇周辺の意向に関する情報入手に、決定的な甘さがあったとの指摘も重要だろう。「改造主義」に重心を置いていた将校たちにも、情報への接し方にも、いわば「天皇主義」的バイアスがあったというべきかもしれない。 

 最後に二・二六事件の意味を理解するために必要な論点が6つ挙げられている。政治への影響・軍の派閥対立・社会的影響・政軍関係論・天皇型政治文化・青年将校運動の両義性――の諸点である。

 このうち評者がもっとも重要に思えたのは「天皇型政治文化」についての指摘である。

 この文化圏にあっては「御聖断を仰ぐ」というワンクッションが、政治過程の中で不可欠だという。一方、クーデターは一気呵成に進めてこそ成功する可能性が高い。両者はそもそもミスマッチなのだ。青年将校らの動機がいかに誠実な志から始まっていたとしても、その誠実性は結局、「天皇型政治文化」にからめとられてしまった。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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