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天才ジョン・フォード監督の『静かなる男』をめぐって(上)――アイルランドが舞台の恋愛/結婚映画の傑作

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 ジョン・フォード監督に特別の思い入れがある映画ファンは多いだろう。

 私もその端くれだが、かつてフォードの家族メロドラマ、『わが谷は緑なりき』(1941)を今はなき東京・三鷹文化劇場で見て、心底打ちのめされた日のことは忘れられない。

 そのとき、味気ない大学院生活を送っていた私は、この映画を見るために自分はこれまで生きてきたのだ、などと思ったほどだ。もう少し教養があったら、“ユーレカ(われ発見せり)!”と叫んだかもしれない。

――と、ついオーバーランしてしまったが、ともかく端折(はしょ)って言えば、フォードに根こそぎやられて私は映画漬けの日々を過ごすようになり、結果大学院での文学研究もやめてしまい、やがて見よう見まねで映画批評を書きはじめたのである(フォード映画に出合わなかったら、もう少しカネになる仕事に就けたかもしれないが……)。

 では、ジョン・フォードの凄さとは何か。

 ひとことで言えば、通俗的な物語を描く、その描き方が少しも通俗的ではない点だ。そこに、この天才監督のエッセンスがある。

 すなわち、騎兵隊とインディアンの戦う西部劇や、スモールタウンのメロドラマ的な人情劇や恋愛劇などを、神業としか思えない美しい画面で織り上げてゆく、ストーリーテリングの至芸、簡潔でリズミカルなアクション演出、そして心に沁み入る、しかし感傷に流れない繊細な抒情の表現、それこそがジョン・フォードの唯一無二の素晴らしさだ。

 これらの点でフォードは、やはり映画史上の突出した巨匠であるヒッチコック、ジャン・ルノワール、ハワード・ホークス、小津安二郎、溝口健二らに比べても、一頭地を抜いている。

 さて今回、「ジョン・フォード生誕120年」記念として、フォードの2本の傑作、『静かなる男』(1952、テクニカラー)と『駅馬車』(1939、モノクロ)のデジタル・リマスター版が上映されているが、ここではフォードが心の故郷、アイルランドでロケを敢行した前者を取り上げたい(フォードの両親はアイルランド移民)。

――『静かなる男』は、故郷アイルランドの小村・イニスフリーに戻ってきた背の高いアメリカ育ちの元プロボクサー、ショーン・ソーントン(ジョン・ウェイン)が、村の美しい赤毛の女性メアリー・ケイト(モーリン・オハラ)に恋をして巻き起こす騒動を描いた、コメディ・タッチの、しかし情感あふれる恋愛メロドラマだ(以下、部分的なネタバレあり。なお「イニスフリー」は、この映画のために着想された架空の村)。

 物語の中心は、ショーンとメアリーが、どのようにさまざまな障害を乗り越えて恋を成就させ、幸福な結婚に至るか、である。つまり『静かなる男』は、愛し合う男女が困難を克服し結婚する、というプロットの点で、古典的恋愛映画の王道を行く映画だといえる。

 そして前述のごとく、フォードはふたりの恋愛模様を、ベタ甘な感傷=お涙頂戴に流すことなく、あくまで軽妙に、笑いとアクションと抒情を絶妙なさじ加減でミックスして描いてゆく。

 ふたりの恋路(こいぢ)の最大の障害となるのは、メアリーの兄で大地主のレッド(ヴィクター・マクラグレン、彼もまた大男)の存在だ。根はお人よしだが乱暴者でへそ曲がりのレッドは、気風(きっぷ)がよく村の人気者となったショーンが気に入らない。

 レッドはまた、自分が欲しがっていたショーンの生家を、金持ちの後家ティレーン(ミルドレッド・ナトウィック)からショーンが買い取ったので、妹の結婚に猛反対し、持参金も持たせようとしない。妻が持参金を持たずに結婚することは、アイルランドの慣習では恥とされた(アメリカ育ちのショーンにはそれが理解できない)。

 それでもふたりは何とか結婚するが、メアリーは持参金なしで妻となる。そのため、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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