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天才ジョン・フォード監督の『静かなる男』をめぐって(中)――アクション/運動による恋愛描写、“フォード・タッチ”など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 「男の友情」や「フロンティア・スピリット」や「アイルランド魂」を、雄大な自然のなかで詩情豊かに描く監督として映画史にその名を刻み、また「西部劇の神様」などとも呼ばれるジョン・フォードが、じつは恋愛描写・ラブシーンの名手でもあることは、今なお見落とされがちだ。

 たとえば『静かなる男』の、ショーン/ジョン・ウェインとメアリー/モーリン・オハラが最初にキスを交わすシーンの、なんたる官能的な鮮烈さ、そして簡潔さ。

 夕暮れ時の薄暗い室内で、ショーンはメアリーの腕をさっとつかみ、半ば強引に彼女を引き寄せる。その瞬間、強い風が室内に吹き込み、メアリーの赤毛、白いエプロン、真紅のスカートが、そしてショーンのオフホワイトのトレンチコートが、風に煽られ翻(ひるがえ)り、腕を引っ張られたメアリーは弓のように大きく身を反(そ)らし、と思うまにショーンはメアリーをぐっと抱き寄せ、彼女に接吻する。

 つまりそこでは、ショーンに抱き寄せられるメアリーの運動/アクションと、ふたりに吹きつける強風という運動/アクションが相乗的に描かれ、官能的かつダイナミックにフィルムを躍動させる(むろんカメラは、ふたりを引きの全身ショットで写すのみで、顔のアップは撮らない。肝心なのは心理ではなく、あくまでアクションなのだ。というか、フォードにあっては、心理はすばやいアクションや大気の変化によって――顔の大芝居によってではなく――描かれるのだ)。

 要するにその場面では、おそろしくリアルな、しかし映画の中にしか存在しえない、<フィルムの真実>が瞬間的に現前するのである。

 もちろん『静かなる男』では、他のフォード作品同様、主人公や副人物らの、投げる・座る・手を振る・歩く・走る(川の浅瀬を人や馬が渡ること、を含む)・遠ざかりながら振り向く(モーリン・オハラ)・引きずる・殴る・蹴る、などなどの<運動>が、ほとんどひっきりなしに画面を活気づける(フォードにおける<投げること>の主題については、蓮實重彦の詳細な分析がある)。

 中盤のショーンとメアリーの屋外でのキスシーンでも、<大気の変化/天候の急変>が劇的なアクセントを画面に刻む。

 ふたりが見つめ合うや、折から雷鳴がとどろき上空には稲妻が走り、激しく雨が降りだす。そして接吻を交わすふたりの服は濡れそぼち、肌にぴったりと貼りつく。ジャン・ルノワールをちらりと想わせるほど官能的なシーンだが、そこでも男女の官能の高まりは、稲妻や雨や濡れた服といった、セリフや心理描写以外のもので表される。

 ここで思い出されるのは、フォードが出来上がった脚本からしばしば大幅にセリフを削った、という事実である。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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