井田真木子 著
2014年10月09日
とても残念なことだが、井田真木子さんとは仕事で交わることがなかった。もちろんその存在は編集者として常に頭の片隅にあったし、何より職場に元早川書房で彼女を直接知っている先輩がいたこともあってどことなく身近にも感じ、いずれまとめて彼女の仕事のことを考えたいと思っていた。
しかし人は往々にして擦れ違う。気づいたときにはもう手遅れで、彼女はこの世から旅立っていた。
思えばわれわれの世代には自ら命を断った作家の存在が目立つ。
佐藤泰志しかり鷺沢萌しかりだが、本書の巻末で関川夏央氏が伝えるところによれば、食べる物も食べず、自宅でひとり衰弱しきって亡くなったという井田さんの死も、ほとんど緩慢な自殺といっていい。
彼女の生年が1956年。佐藤泰志が49年で鷺沢萌は68年生まれだから、マックスでほぼ20年の開きがある。
そこを〈われわれの世代〉と括ってしまうのは、本書収録の『かくしてバンドは鳴りやまず』で井田さんの記す〈80年代人〉という意味においてであって、さらにいえば、本書の随所に見られる村上春樹に対する共感と反感のアンビバレンツを共有できるか否かに拠っている。
仮にそれが自死であれ不本意な事故死であれ、作家が亡くなるとき、彼、あるいは彼女の仕事は完結している。
むしろその死に方によって自らという作品を完結させてしまうのが作家の業であるともいえるが、その目で本書を繙くと、前掲した未完の遺作、世界的な大御所ノンフィクション作家をノンフィクションの手法で描く、という意欲作である『かくして……』を含めて、井田さんの仕事も見事に完結していたのだと気づく。何よりもそれをこの一冊で気づかせてくれるのが、本書の特異さともいえる。
というのも本書は作家の仕事を網羅する全集ではなく著作撰集であって、収められている長編ノンフィクションは『プロレス少女伝説』、『同性愛者たち』、そして『かくして……』の3本、あとは短編ノンフィクションとエッセイの何本か、それに特徴的なのは若いころの詩を収めているところで、もう手に入らないものを、というのがセレクトの基本にはあろうが、その選び方の恣意性に、敢えて編者を立てずに挑んだ発行人の強い思いを感じるからだ。
本書を通読して改めて思うのは、井田真木子という作家は実に「耳のいい」作家だったということだ。
それは神取しのぶや天田麗文(あまだれいぶん)ら女子プロレスラーの、それぞれに特徴のある語り口を見事に活字に再現している『プロレス少女伝説』に顕著だが、たとえば『同性愛者たち』ではストレート(異性愛者)である自らの存在に揺らぎを覚える描写に三半規管の強さを感じるし、『かくして……』においてはトルーマン・カポーティやランディ・シルツ、バーンスタインやウッドワードの実際の言葉を拾っているのでは決してなく、彼らが発するに違いない声を自らの内心に反響させ、それを耳で捉えて描いているのだ。
『かくして……』にはまた、カポーティが『冷血』を書くために、友人に長い文章を目の前で読んでもらい、それをどれだけ正確に書き写せるか「耳の訓練」をしていたというエピソードがさりげなく紹介されているが、それも期せずして、井田さんがいかに耳のありように敏感だったかを裏付けているように思われる。
そしてまた耳は五感の中でも最も脳に近く、その出先器官として外部の空気に晒されている部位でもある。
本書を読み進めながら、取材対象に飛び込むというよりも、それを貪欲に内部に取り入れながら、敢えて障壁も設けずに自らを晒していくという井田さんのノンフィクションの手法を目の当たりにするにつけ、加速度的に取材対象と一体化していく「危うさ」を感じざるを得ない。
それをスリリングと取るかべきか危うさと取るべきかはともかく、このスタイルは限りない消耗を作家に強いるはずだ。だからエッセイの章の最後に置かれた「眠りの彼方、死の手前」の末尾の次のような文章に刮目してしまう。
〈生きるということは、なかなか終わらないテレビを見ているのに似ている。〉
実に死の8年前にこう記した作家に、同じく人生を「退屈な映画をお終いまで見る勇気」と譬えた大宰治と同質のものを見てしまうことも、あながち見当違いではない。
最後に本書の造りについて。このところ30代半ばから40代に至る若い世代がひとりで出版社を起こし、注目を浴びるケースが多いが、本書の版元もその例に漏れない。
昔で言うと8ポ2段組で576頁、優に単行本4、5冊分の原稿が四六判並製の一冊に押し込められている。内容も物理的にも軽くて薄い本がもてはやされる今日ではハードルの高い本であるが、出版業界に挑むその勇気には拍手を送りたいし、濃い赤の風合いある紙にタイトルが墨で一色、バーコードは帯に刷ってビニールカバーで包む、という昔ながらの造本には好感を抱く。
一見オーソドックスな設計だが、後ろ見返しにとも紙で16頁1丁、全集なり撰集であれば本来、本体とは切り離して別刷りで投げ込むべき内容を綴じ込み、さらに本文の末尾に発行人のメッセージを載せてしまうという構成には、実は個人版元にしか出来ないチャレンジングな造本思想が潜んでいる。
もちろん何でもオッケーというわけではないだろうが、前例に囚われず、好きな本は好きなように造りたい、というある意味では根源的な、しかも新しい世代の出版者の出現を、停滞する業界における吉兆と見なしたい。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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