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フランソワ・トリュフォー特集が到来!(3) ―-『大人は判ってくれない』のその他の名場面、脚本設計、<書く>という主題など

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は前回前々回で触れえなかった、『大人は判ってくれない』の名場面やトリュフォー的モチーフ、さらには本作の脚本設計のポイントなどをピックアップし、コメントしたい。

*『大人は判ってくれない』で、子どもたちが人形劇を見るシーンは――ラストのアントワーヌ/レオーがカメラ目線になるストップ・モーションとともに――、一度見たら決して忘れられない強烈な印象を放つ。

 舞台上の人形同士の格闘に見入る子どもたちの顔は、おそらく隠し撮りされたと思われるが、「かわいい」とか「無垢」とかいった言葉ではとても言い表せない、面白いものに心を奪われた子どもに特有な、あのおそろしくリアルな表情を、アンリ・ドカのカメラは奇跡のように生け捕りにしている。まるでカメラが偶然その場に居合わせたかのように、である。

*アントワーヌが鑑別所に護送車で送られるところも、切なさが胸に迫る名場面だ。護送車の後部の窓から、かすかに目に涙を浮かべて、彼は遠ざかってゆく夜のパリの街を見つめる。カメラは、アントワーヌの目になった暗いロー・キーのショットで、自分の身体の一部のような、大好きなパリの街から引き離されてゆくアントワーヌの哀しみを、痛切に、しかし抑えたトーンで撮り切っている……。

*前述のごとく、トリュフォーらNVの映画作家たちは、伝統的なフランス映画における脚本中心主義を痛烈に批判した。そして彼らは、しばしば簡単なシノプシス/あらすじをもとに即興演出で映画を撮った、と言われる。

 また作家=監督が――<作家主義>にもとづいて――脚本家を兼ねた、と言われる。だがそれは、一面の真実でしかない。もっといえば、それはゴダールというただ一人の例外を別にすれば、NV初期の綱領/マニフェスト――実践されなかった――にすぎなかった。監督が脚本を書いたにせよ、そのほとんどは他の脚本家との共同執筆であった(このあたりの詳しい事情については、前掲ミシェル・マリ『ヌーヴェル・ヴァーグの全体像』<132頁以降>を参照)。

 映画評論家のセルジュ・トゥビアナによれば、『大人は判ってくれない』を撮るさい、トリュフォーはまず自分の少年期のエピソードを分類し、カードを作った。しかしそれらを配列しただけでは、ただの再現的な100%の自伝、つまりネガティブな意味での個人的映画になってしまうことに、トリュフォーは気づく。

 そこで彼は、テレビの脚本家として成功していたマルセル・ムーシーに協力を要請し、新聞の三面記事も参照して、作品に普遍性をもたせようとした(ポニーキャニオン版DVD、『あこがれ/大人は判ってくれない』の特典所収のトゥビアナによる解説)。

 ともかくトリュフォーの場合も、処女長編からしてすでに、<作家=監督が自ら脚本を書く>というNVのマニフェストは実行されなかったわけだ。むろんそれは批判されるべきことではないが、山田宏一氏によれば、トリュフォーはもとより、他人の脚本で映画を撮ることの必要性を切実に感じていたという。

 すなわち――「トリュフォー[……]も[映画づくりにおいて]映画の脚本が基本的に最も重要なことと心得ていたにちがいなく、いつも複数で(多くの場合三人共同で)脚本を書くことになる。やむを得ない事情でトリュフォーがひとりで脚本を書かざるを得なかった『暗くなるまでこの恋を』(一九六九)の失敗を、生涯、トリュフォーは『脚本の弱さ』のせいだったと認めて反省していたほどであった(山田宏一『トリュフォーの手紙』、2012、平凡社)。

 ただし私見によれば、優れた脚本は多くの場合、優れた映画にとっての必要条件であって、十分条件ではないと思われる(十分条件とはすなわち、作家=監督による演出――画面構成・編集・演技設計など――である)。

*『大人は判ってくれない』では、いうまでもなく、教室という空間がリアルに撮られている。たとえば冒頭まもなく、アントワーヌら悪童たちが、教室でピンナップを回したりラブシーンの真似をしたりする悪戯の数々、それを叱る教師のヒステリックな厳しさが活写されるが、そこで見逃せないのは、トリュフォーならではの<書く>というモチーフが、書き取りの場面としてユーモラスに描かれる点だ。

 とりわけ、一人の少年が教師の朗読を書き取ろうとしてうまくいかず、

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