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フランソワ・トリュフォー特集が到来!(4)――短篇『アントワーヌとコレット』のほろ苦さとユーモア

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 フランソワ・トリュフォーの半自伝的シリーズ、「ドワネルもの」の第2作目は、『アントワーヌとコレット<二十歳の恋>より』(1962、モノクロ)である。

 副題が示すように、この作品は最初、国際オムニバス映画<二十歳の恋>のフランス篇として撮られ、のちにオムニバスから独立した作品として発表された。

 その版には、この29分の短篇が、「ドワネルもの」の第1作『大人は判ってくれない』の続編であることを明確にするため、以下のような、アンリ・セールによるナレーションが付け加えられた――「アントワーヌ・ドワネルは17歳、かつて非行を重ねて少年鑑別所に送られたが、脱走してやっと社会復帰に成功し、レコード会社に勤めはじめた……」。

 つまり、『大人は判ってくれない』では家庭からも学校からも見放された14歳の「捨て子」だったアントワーヌは、この映画では、とにもかくにも「まっとうな」職についている17歳の若者だ(以下ネタバレあり)。

 物語は、トリュフォーが若い頃に経験した深刻な失恋に想を得た、切なくも滑稽なアントワーヌの片思いの顛末である。

――レコード会社フィリップスで働くアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオー)は、青年音楽連盟のコンサートで、マリー=フランス・ピジェ扮するコレットという美しい女学生に一目ぼれする。やがてアントワーヌはコレットと言葉を交わすようになる。そして彼はコレットの家に招かれ、彼女の両親と親しくなる。ここまでは順調に思えたが、アントワーヌを友達としか思っていないコレットには、ハンサムな恋人がいた……。

 たったこれだけの、ささやかな失恋話を描く『アントワーヌとコレット』は、しかしながら、トリュフォーの最高傑作の1本とさえ言える、とびきり素敵な映画だ。何より、初期ヌーヴェル・ヴァーグのエッセンスともいうべき、パリの街路やアパルトマンのみずみずしいロケーションが目に快い。

 また、トリュフォーならではの軽快なテンポと頓狂なユーモアゆえに、フィルムからはシリアスな重さが抜き取られている。相変わらずアントワーヌ/レオーは早足で、いとこの恋人がいる親友ルネ(パトリック・オーフェー)と街を歩き、コレットや彼女の両親やルネと早口で喋る。さらに後述するように、ドラマの転回点となるいくつかの場面設定が冴えわたる。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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