2014年10月24日
フランソワ・トリュフォーの半自伝的シリーズ、「ドワネルもの」の第2作目は、『アントワーヌとコレット<二十歳の恋>より』(1962、モノクロ)である。
副題が示すように、この作品は最初、国際オムニバス映画<二十歳の恋>のフランス篇として撮られ、のちにオムニバスから独立した作品として発表された。
その版には、この29分の短篇が、「ドワネルもの」の第1作『大人は判ってくれない』の続編であることを明確にするため、以下のような、アンリ・セールによるナレーションが付け加えられた――「アントワーヌ・ドワネルは17歳、かつて非行を重ねて少年鑑別所に送られたが、脱走してやっと社会復帰に成功し、レコード会社に勤めはじめた……」。
つまり、『大人は判ってくれない』では家庭からも学校からも見放された14歳の「捨て子」だったアントワーヌは、この映画では、とにもかくにも「まっとうな」職についている17歳の若者だ(以下ネタバレあり)。
物語は、トリュフォーが若い頃に経験した深刻な失恋に想を得た、切なくも滑稽なアントワーヌの片思いの顛末である。
――レコード会社フィリップスで働くアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオー)は、青年音楽連盟のコンサートで、マリー=フランス・ピジェ扮するコレットという美しい女学生に一目ぼれする。やがてアントワーヌはコレットと言葉を交わすようになる。そして彼はコレットの家に招かれ、彼女の両親と親しくなる。ここまでは順調に思えたが、アントワーヌを友達としか思っていないコレットには、ハンサムな恋人がいた……。
たったこれだけの、ささやかな失恋話を描く『アントワーヌとコレット』は、しかしながら、トリュフォーの最高傑作の1本とさえ言える、とびきり素敵な映画だ。何より、初期ヌーヴェル・ヴァーグのエッセンスともいうべき、パリの街路やアパルトマンのみずみずしいロケーションが目に快い。
また、トリュフォーならではの軽快なテンポと頓狂なユーモアゆえに、フィルムからはシリアスな重さが抜き取られている。相変わらずアントワーヌ/レオーは早足で、いとこの恋人がいる親友ルネ(パトリック・オーフェー)と街を歩き、コレットや彼女の両親やルネと早口で喋る。さらに後述するように、ドラマの転回点となるいくつかの場面設定が冴えわたる。
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