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朝日新聞叩きを考える(上)――「嫌韓憎中」路線から「朝日」攻撃へ

篠田博之  月刊『創』編集長

 ため息が出るような一連の朝日叩き騒動のなかで唯一痛快だったのは、池上彰さんが駆使した「逆手に取る」手法だった。 

 『週刊文春』9月25日号のコラムで「罪なき者、石を投げよ」と題して、自社を棚にあげて朝日叩きを続ける他紙を諌めたうえで、末尾で朝日新聞を「売国奴」などと非難している週刊誌をも批判したのだ。 

産経新聞、月刊誌「正論」「WiLL」などが提携したオピニオンサイト「iRONNA」産経新聞、月刊誌「正論」「WiLL」などが提携したオピニオンサイト「iRONNA」
 朝日新聞を「売国奴」と攻撃している筆頭は『週刊文春』だったから、それが同誌をも批判したのは明らかだった。しかし、編集部としてはそれを掲載しないわけにはいかない。なぜならば、朝日新聞が池上さんのコラムを掲載拒否したことを同誌も激しく非難していたからだ。池上さんはそのことを逆手に取って、週刊誌の報道をこう批判したのだった。

 「『売国』とは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語は使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか」

 いやあ、この手法は拍手ものだ。

 ということで、今回、WEBRONZAから原稿依頼を受けた時、私は一瞬、この手法をまねてみようかと思った。

 この間の朝日新聞の「迷走の果てに自爆」したというべき対応が、日本のリベラルな言論にいかに打撃を与えたかには胸を痛めている人も多いから、その朝日新聞社の問題点を同社の媒体で書くというのも悪くないなと思ったのだ。幸いなことに、原稿依頼のメールには「もちろん朝日新聞社批判も」行ってよいと書いてあった。

 だから本稿では朝日新聞に対する批判も書こうと思うが、しかし、その前に朝日叩きの側について言わなければならないことが山ほどある。例えば池上さんも批判したように、この間、週刊誌に「国賊」「売国奴」などという表現が毎号のように躍った問題だ。

 今回の一連の騒動は、もしかすると日本の言論の歴史の転換点になるのではないか。そう思えるほど、戦後の言論報道界が依拠してきた理念や矜持が、見るも無残に捨て去られた。

 例えば池上さんも批判していたが、『フラッシュ』9月30日・10月7日合併号は表紙に大きな文字で「木村伊量社長を国会招致せよ」とぶちあげているのだ。言論をめぐる問題に政治家や権力が介入することを、雑誌が表紙にまで掲げて要求するというのは、これはもう退廃としか言いようがないだろう。

 9月下旬に開催されたマスコミ倫理懇談会全国大会で、『フラッシュ』を発行する光文社の編集管理局長がこれについて意見を訊かれ、「天に唾する態度だと思う」と見解を述べたところ、それがよりによって朝日新聞で報じられて物議をかもしたそうだが、しかし「天に唾する態度」というのは正鵠を得た表現だろう。

 9・11謝罪会見以降、朝日新聞が誤りを認めた、という言い方で、あたかも慰安婦問題などなかったかのような言説が横行している。かつて河野談話を受けて政府に真相究明を促した宝塚市議会の意見書を、今回、事実上撤回する決議が可決されたと報じられた。同様の動きは組織的に呼び掛けられ、様々な地方議会に圧力がかけられているらしい。

 また週刊誌が慰安婦報道に関わった植村隆・元朝日記者らを名指しで槍玉にあげ、平然と大学で教鞭をとっているなどと批判したのを受けて、その大学に「売国奴をやめさせろ」という抗議が殺到、脅迫状まで送られる騒動になっている。

 週刊誌が朝日新聞の現役あるいは元記者個人を名指しで攻撃するのは、慰安婦報道だけでなく、中国や北朝鮮についての報道にも拡大している。

 例えば『週刊文春』9月4日号の「朝日新聞『売国のDNA』」では、本多勝一さんや松井やよりさんが攻撃され、同9月18日号の「中国共産党に国を売った朝日新聞7人の『戦犯』」では、元「報道ステーション」のコメンテイター加藤千洋さんなども槍玉にあげられている。こうした文脈で筑紫哲也さんまで非難した週刊誌もあった。どう考えても常軌を逸した攻撃と言わざるを得ない。

 さすがにそうした朝日叩きに対する批判も大きくなってきたからか、最近になって週刊誌はある種のバランスをとるような誌面に転じつつあるのだが、今度は1周遅れで『SAPIO』などの月刊誌が朝日叩きを全面開花させており、書店店頭の雑誌コーナーは異様な雰囲気に覆われている。

 深刻なのは、このように雑誌媒体が一斉に同じ方向に転じて行った背景に、明らかに出版不況が影を落としていると思われることだ。

 昨年後半あたりから週刊誌界では「嫌韓憎中」ものは売れるという話が出始め、従来から右派系と言われた『週刊文春』『週刊新潮』だけでなく、『週刊ポスト』『フラッシュ』などが次々とその路線に転じて行った。

 今回の騒動では『アサヒ芸能』も朝日叩きに参戦したのだが、後になって参戦する雑誌ほどセンセーショナリズムに拍車がかかっている。『アサヒ芸能』8月28日号の見出し「『国賊メディア』朝日新聞への弔辞」には、思わず目を疑ったものだ。

 総合週刊誌はいまや次々と赤字に転落しており、経営側からこのままでは休刊もやむなしと脅されているのが実情だ。そのなかで背に腹はかえられないとばかり「嫌韓憎中」路線への転換が一気に拡大していったのだ。

 「嫌韓憎中」は、朝日叩きと文脈において重なり、実は今回の騒動の前から週刊誌の朝日叩きはエスカレートしていた。

 『週刊ポスト』3月14日号の「日本の恥を海外に広報する『ご注進メディア』朝日新聞の罪」など、今回の騒動で使われた朝日叩きのロジックそのものだ。

 しかも、これは『週刊ポスト』のオリジナルではなく、右翼系月刊誌でこれまでも展開されてきたものだ。何のことはない、それまで一部右翼雑誌が掲げていた論調に、それが売れるらしいと聞いた週刊誌が飛びついていったというのが、この1年ほどの嫌韓ブームと言えるのではないだろうか。

 朝日新聞が8月5日・6日の紙面で慰安婦報道検証に踏み出したのは、ちょうど嫌韓憎中が吹き荒れた、そういうタイミングだった。保守系メディアからの反撃を過小評価して二の矢三の矢を紙面で展開できなかった朝日新聞は、たちまち総攻撃を浴びて火だるまになったのだった。

 その後の経緯は周知の通りだが、朝日新聞社の対応を見ていて一番気になったのは、当初の保守メディアに対する居丈高とも言うべき会社側の姿勢が、池上問題を機に、謝罪会見を経て、総崩れになってしまった印象を受けることだ。

 新聞協会賞候補のスクープだった原発「吉田調書」報道が一転して「記事取り消し」という重い措置に至ってしまったことも、きちんと社内で検証がなされたうえでのことなのか、朝日新聞に理解を示している人の間でも疑問が出されている。

 あるいはまた、慰安婦報道検証記事の後、それについての読者の投書が「声」欄に載っていないのはおかしいという批判が出た途端、それが載るようになったのだが、謝罪会見の後は、朝日批判の投書ばかりたくさん掲載されるようになった。批判を真摯に受け止めるという姿勢なのだろうが、紙面でフォローがなされないまま否定的な投書ばかり見せられては、応援しようという読者のほうが萎えてしまうのではないか、という声もある。

 迷走の度合いが大きすぎて、朝日は大丈夫なのか?という印象ばかり残ってしまうのだ。 (つづく)