2014年10月27日
今回は『アントワーヌとコレット<二十歳の恋>より』の名場面をピックアップし、その設定や演出の妙その他について、コメントしよう。
*アントワーヌがコレットに一目ぼれする、コンサート・シーンの視線描写に息をのむ。カメラは最初、会場全体をやや俯瞰気味にうつしたのち、ルネと並んで客席に座っているアントワーヌ/ジャン=ピエール・レオーを、かなり引いた位置からとらえたのち、彼の少し前方の席に、女友達と並んで座ったコレット/マリー=フランス・ピジェをうつす。
ついでアントワーヌは、盗み見るように斜め前方のコレットを見やる。アントワーヌの主観(見た目の)ショットになった画面で、コレットは彼の視線に気づいたのか、2度彼のほうをちらりと振り返る。じつに微妙なニュアンスの視線描写だ。
こうした視線演出を含めて、この場面には、トリュフォーが敬愛したヒッチコックの影響が見え隠れしている。ヒッチコックは主観ショットのサスペンス効果を誰よりも心得ていたし、また、名作『知りすぎていた男』におけるアルバート・ホールでの狙撃シーンに端的なように、<大勢の人間が集まる劇場的空間で何かが起こる>、という状況を好んで設定した。
*コレットにのぼせ上ったアントワーヌが、彼女が両親と住んでいるアパルトマンの真向かいの(2階か3階の)部屋に引っ越してくるシーン(!)が、何ともおかしく、切ない。アントワーヌは、その部屋の両開きの大きな窓――いわゆるフランス窓――を開け放ち、コレットや彼女の両親と楽しげに言葉を交わす。
この<窓>の使い方も、ジャンルはまったく違うが、ヒッチコックのサスペンス映画『裏窓』をちらりと連想させる。また、向かい合った両開きの窓辺での会話シーンは、巨匠ジャン・ルノワールの影響が顕著な<映画撮影をめぐる映画>、『アメリカの夜』(1973)でも印象的に描かれる。
*この短篇の、いかにもトリュフォーらしい軽快なテンポについては前述したが、アントワーヌ/レオーの早足や小走り、早口のセリフ回し、時間を飛ばすカット割りや溶暗/溶明(ディゾルブ)、ワイプアウト、彼の動きを追うカメラのすばやい首振り(クイック・パン)が絶好調だ。
なお、トリュフォーは撮影中、コレットに扮するマリー=フランス・ピジェに、「もっと速く、もっと速く[喋るようにと]」と指示したという(前掲アントワーヌ・ド・ベック、セルジュ・トゥビアナ『フランソワ・トリュフォー』)。
こうしたトリュフォー映画ならではのアップテンポは、アンリ・セールのナレーションとレオー自身の内的モノローグ(独白)の、やはり先を急ぐような早口によっていっそう加速される。こうした早口のナレーションやモノローグは、狂恋ものの傑作、『アデルの恋の物語』(75)などなどでフル活用され、トリュフォーの作家的特徴のひとつとなる。
*前述のごとく、コレットはアントワーヌを友達としか見ていないが、彼はコレットに熱を上げ、彼女を熱心にデートに誘い、映画館では彼女に強引にキスをしようとしたりする。そしてアントワーヌには、コレットの態度が気をもたせるような、思わせぶりなものに見えてくる。いや、ひょっとしたらコレットは、無意識のうちにアントワーヌを振り回したいと思い、気のあるふりをして彼に接していたのかもしれない。自分の魅力を確認するために、つまり自己確認のために、である。
ちなみに佐藤優氏によれば、最近の婚活パーティでカップルが生まれにくいのは、
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