2014年10月30日
『夜霧の恋人たち』(1968、カラー)は、トリュフォーの半自伝的シリーズ、「アントワーヌ・ドワネルもの」の3作目だが、これまた前2作に勝るとも劣らぬ傑作である(個人的にはいちばん好きなトリュフォー作品)。
そして山田宏一氏の言うように、「ドワネルもの」とはいえ、『夜霧の恋人たち』では、前2作にくらべて自伝的要素はかなり薄れている。
シナリオは、トリュフォーと二人の脚本家、クロード・ド・ジブレーとベルナール・ルヴォンが共同執筆したが、ジブレーとルヴォンによって、ドワネル/ジャン=ピエール・レオーにふさわしいエピソードがいくつも創作され、それらが本作の物語のメインとなった(トリュフォーの実人生に即しているのは、冒頭でアントワーヌが軍隊を除隊になる場面だけだが、この作品以降、「ドワネルもの」は「ジャン=ピエール・レオーの演じる別の人物に成長してい」き、あるいは、ドワネルはレオーとトリュフォー自身が合体したものになっていく<前掲・山田宏一『フランソワ・トリュフォー映画読本』>)。
ともあれ『夜霧の恋人たち』は、飄々(ひょうひょう)としたジャン=ピエール・レオーの持ち味が十二分に発揮された、軽妙なコメディ・タッチの、しかしコミカル一辺倒ではない、人生の機微に触れる<小さなドラマ>が仕込まれた、何度でも見たくなるような映画だ(山田宏一氏は前掲書におけるトリュフォーへのインタビューで、本作の作風を「悲喜こもごもの人生を深刻にではなく、軽くさらりと描く<コメディー・ドラマチック>だ」と述べているが、言い得て妙である。
――情緒不安定の兵役不適格者として、軍隊を服役解除されたアントワーヌ/レオーは、さまざまな職業につく。映画の軸となるのは、そうした彼の「修業時代」、今風にいえばインターンシップ/体験就業めいた時期の描写だが、それと並行して、かつてのガールフレンド、クリスチーヌ(クロード・ジャド)と彼の恋愛模様も、また彼とクリスチーヌの両親との親交も(『アントワーヌとコレット』同様)、軽妙に描かれる。
そして、フィルムは一点をめざして求心的に進行するというより、日常生活のさまざまな断片を、自由気ままな冗談まじりのエッセー風につづってゆく。そのカジュアルなタッチがすこぶる魅力的だ(以下ネタバレあり)。
アントワーヌは除隊後、まずホテルの夜勤につき、次に探偵社に雇われる(アントワーヌのドジな迷探偵ぶり、つまり大げさに新聞で顔を隠したり、街路樹や建物の陰に隠れたりするバレバレな尾行ぶりが、なんとも彼らしく滑稽だが、このあたりのスムーズな編集の呼吸も抜群)。
まもなく、周囲の者すべてに嫌われている、と思い煩っている靴屋の社長タバール氏(名優ミシェル・ロンスダール、おかしい!)に調査を依頼されたアントワーヌは、靴屋の店員になりすまし潜入捜査をすることに。が、アントワーヌは美しいファビエンヌ・タバール夫人(デルフィーヌ・セイリグ)に一目ぼれしてしまう。そしてやがて、彼の身に「夢のような」出来事が起こる
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