2014年11月06日
赤瀬川原平さんには、一度だけインタビューをしたことがある。2008年8月のことで、東京都美術館で始まったばかりの「フェルメール展」の会場だった。朝日新聞に「フェルメールと私」と題して著名人へのインタビューを載せるシリーズで、「休館日にゆったりと見ませんか」と電話すると、「いいですねえ、混まなくて見られるんですね。行きますよ」とのお返事。
その日は朝日新聞の読者招待日を兼ねていた。そこに現れた赤瀬川さんは、前衛美術家とは思えないほどあまりに地味な格好と雰囲気で、年配の読者の群れの中で全く目立たなかった。
一緒に展覧会を見て回ったが、特に時間をかける風でもなく、すいすいと歩く。「原寸大だとわかりやすいね」と言ったのは、既にフェルメールの全作品について『赤瀬川原平の名画探険――フェルメールの眼』という本を出していたからだろう。
その後のインタビューではフェルメール絵画の「透明性」や「人物を超えた視線」についてきちんと語ってくれたが、驚いたのはインタビューが終わった後の雑談で、私が森村泰昌さんの最近の作品について触れた時だった。
それはフェルメールの≪絵画芸術≫を自ら演じて写真やビデオを使って見せたインスタレーションだったが、赤瀬川さんはその話に「へえー、ああそうですか」とずいぶん冷たかった。
今、その録音を聞き直して、赤瀬川さんの美術に対する考えがその反応に込められているような気がした。
「ハイレッド・センター」とは、赤瀬川原平のほか、高松次郎、中西夏之の3氏が1960年代前半に結成した前衛美術のグループを指す。
高=ハイ、赤=レッド、中=センターという3人の漢字を取った、今思うとすいぶんいい加減な命名だが、今年の2~3月に渋谷区立松涛美術館で「ハイレッド・センター展」を見た時に、赤瀬川原平だけが「美術」をやっていない感じに見えた。
例えば、中西夏之の1960年代の≪コンパクト・オブジェ≫シリーズは、時計やサングラスなどを透明な卵形の物体に閉じ込めたものだが、機械と人体が結合した感じの奇妙なオブジェにある美学を感じる。
同じ頃の高松次郎の≪影≫シリーズは、物陰を絵画に描き込むという人を食ったような作品だが、それでもどこかに絵画的な構成感覚を見せている。
ところが赤瀬川は、例えば≪千円札≫のシリーズにおいて、そのような美学を使わずにただ模写した千円札を展示して驚かせる。まるで「美」という概念自体をバカにしているかのようにも見える。
1963年の「読売アンデパンダン展」ではその千円札を拡大し
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